・・・「やがて、男は、日の暮に帰ると云って、娘一人を留守居に、慌しくどこかへ出て参りました。その後の淋しさは、また一倍でございます。いくら利発者でも、こうなると、さすがに心細くなるのでございましょう。そこで、心晴らしに、何気なく塔の奥へ行って・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・わたしはやはり地獄の底へ、御両親の跡を追って参りましょう。どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりや様の御側へお出でなすって下さいまし。その代りおん教を捨てた上は、わたしも生きては居られません。………」 おぎんは切れ切れにそう云ってから、・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・「象牙のお箸を持って参りましょうか……それで喉を撫でますと……」婆やがそういうかいわぬに、「刺がささったんじゃあるまいし……兄さんあなた早く行って水を持っていらっしゃい」 と僕の方を御覧になった。婆やはそれを聞くと立上ったが、僕・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・ある時その群れの一つがヨーロッパに出かけて、ドイツという国を流れているライン川のほとりまで参りました。この川はたいそうきれいな川で西岸には古いお城があったり葡萄の畑があったりして、川ぞいにはおりしも夏ですから葦が青々とすずしくしげっていまし・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・「お迎に参りました。」 駭然として、「私を。」「内方でおっしゃいます。」「お召ものの飾から、光の射すお方を見たら、お連れ申して参りますように、お使でございます。」と交る交るいって、向合って、いたいたけに袖をひたりと立つと・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・明日の朝は夜があけたら直ぐ市川へ参ります」 母はなお詞を次いで、「なるほど何もかもこうなる運命かも知らねど今度という今度私はよくよく後悔しました。俗に親馬鹿という事があるが、その親馬鹿が飛んでもない悪いことをした。親がいつまでも物の・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・非常に面白い下女で、私のところに参りましてから、いろいろの世話をいたします。ある時はほとんど私の母のように私の世話をしてくれます。その女が手紙を書くのを側で見ていますと、非常な手紙です。筆を横に取って、仮名で、土佐言葉で書く。今あとで坂本さ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・わたくしも立会人を連れて参りませんから、あなたもお連にならないように希望いたします。ついでながら申しますが、この事件について、前以て問題の男に打明ける必要はないと信じます。その男にはわたくしが好い加減な事を申して、今明日の間遠方に参っていさ・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・良吉はまたしばらく文雄のお墓にもおまいりができなくなると思って、ある日のことお墓へおまいりに参りました。そして、そのわけをいってから、彼は名残惜しそうについにこの村を離れたのであります。 今度、良吉の一家の越してきたところは、ある金持ち・・・ 小川未明 「星の世界から」
・・・ああ、これから天国のお庭の梨の実を盗んで参りますから、どうぞお目留められて御一覧を願います。」 爺さんはそう言いながら、側に置いてある箱から長い綱の大きな玉になったのを取り出しました。それから、その玉をほどくと、綱の一つの端を持って、そ・・・ 小山内薫 「梨の実」
出典:青空文庫