・・・「そんなら爺い、梨の実を取って来い。」 ところが、その時は冬で、地面の上には二三日前に降った雪が、まだ方々に白く残っているというような時でしたから、爺さんはひどく困ったような顔をしました。この冬の真最中に梨の実を取って来いと言われる・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・そして、せっかく寄ったのだから汲ませていただきますと言って、汲み取った下肥えの代りに私を置いて行ったそうです。 汲み取った下肥えの代りに……とは、うっかり口がすべった洒落みたいなものですが、ここらが親譲りというのでしょう。父は疑っていた・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・死骸はわずか一間と隔てぬ所に在るのだけれど、その一間が時に取っては十里よりも……遠いのではないが、難儀だ。けれども、如何仕様も無い、這って行く外はない。咽喉は熱して焦げるよう。寧そ水を飲まぬ方が手短に片付くとは思いながら、それでも若しやに覊・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・「小田のようなのは、つまり悪疾患者見たいなもので、それもある篤志な医師などに取っては多少の興味ある活物であるかも知れないが、吾々健全な一般人に取っては、寧ろ有害無益の人間なのだ。そんな人間の存在を助けているということは、社会生活という上から・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 耳の敏い事は驚く程で、手紙や号外のはいった音は直ぐ聞きつけて取って呉れとか、広告がはいってもソレ手紙と云う調子です。兎に角お友達から来る手紙を待ちに待った様子で有りました。こんな訳で、内証言は一つも言えませんから、私は医師の宅まで出か・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・八銭のパン一つ買って十銭で釣銭を取ったりなどしてしきりになにかに反抗の気を見せつけていた。聞いたものがなかったりすると妙に殺気立った。 ライオンへ入って食事をする。身体を温めて麦酒を飲んだ。混合酒を作っているのを見ている。種々な酒を一つ・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・帰って母様にそう言って、この讐を取ってもらいます。綱雄さんと私は奥村さんに見かえられました。私はもうこの間拵えていただいた友禅もあの金簪も、帯も指環も何もいりませぬ。皆そッくり奥村さんにお上げなさいまし。この間仕立てろとおっしゃって、そのま・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・と、かごを取って去ってしまいました。この四郎さんは私と仲よしで、近いうちに裏の田んぼで雁をつる約束がしてあったのです、ところがその晩、おッ母アと樋口は某坂の町に買い物があるとて出てゆき、政法の二人は校堂でやる生徒仲間の演説会にゆき、木村は祈・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・そういうあやしい者から五円札を受取った記憶もなかった。けれども、物をはねとばさぬばかりのひどい見幕でやって来る憲兵を見ると、自分が罪人になったような動揺を感ぜずにはいられなかった。 憲兵伍長は、腹立てゝいるようなむずかしい顔で、彼の姓名・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ぞんざいというと非難するように聞えるが、そうではない、シネクネと身体にシナを付けて、語音に礼儀の潤いを持たせて、奥様らしく気取って挨拶するようなことはこの細君の大の不得手で、褒めて云えば真率なのである。それもその道理で、夫は今でこそ若崎先生・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
出典:青空文庫