・・・ いんぎん鄭重に取り扱うに限る。何せ、相手は馬鹿なんだからな。殴られちゃ、つまらない。でも、弱そうだ。こいつには、勝てると思うが、しかし、人は見かけに依らぬ事もあるから、用心に如くはない。「題をかえましたよ。」 ぎょっとするわい・・・ 太宰治 「渡り鳥」
・・・今後彼がこれをどう取り扱うかが何よりの見ものであろう。エジントンの云うところを聞くと、一般相対原理はほとんどすべてのものから絶対性を剥奪した。すべては観測者の尺度による。ただ一つ残されたものが「作用」と称するものである。これだけが絶対不変な・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ もしも自分の以上の空想が多少でもほんとうに近いとすると、若い青年男女に対する映画の生理的効果を研究するのは将来内務省か文部省かのどこかの局ないしは課で取り扱うべきだいじな仕事の一つになるかもしれないのである。・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・もちろん両者の取り扱う対象の内容には、それは比較にならぬほどの差別はあるが、そこにまたかなり共有な点がないでもない。科学者の研究の目的物は自然現象であってその中になんらかの未知の事実を発見し、未発の新見解を見いだそうとするのである。芸術家の・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・社会の先覚者をもって任じているはずの新聞雑誌の編輯者達がどうして今日唯今でもまだ学位濫授を問題にし、売買事件などを重大問題であるかのごとく取扱うかがちょっと不思議に思われるのである。学位記というものは、云わば商売志願の若者が三年か五年の間あ・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ローマンチシズムは、己以上の偉大なるものを材料として取扱うから、感激的であるけれども、その材料が読む者聞く者には全く、没交渉で印象にヨソヨソしい所がある、これに引き換えてナチュラリズムは、如何に汚い下らないものでも、自分というものがその鏡に・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ら、余は、自然の経過は人情の経過と同じような興味をもって読む事のできるものだ、普通のが人情小説なら、コンラッドのは自然情小説だと答えたくらいだから、余は日高君よりは一歩極端に走って、自然と人間を対等に取扱う境を通り越して、自然を主、人間を客・・・ 夏目漱石 「コンラッドの描きたる自然について」
・・・ちょっと考えると、彼らは常人より判明した頭をもって、普通の者より根気強く、しっかり考えるのだから彼らの纏めたものに間違はないはずだと、こういうことになりますが、彼らは彼らの取扱う材料から一歩退いて佇立む癖がある。云い換えれば研究の対象をどこ・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・其上無経験な余は如何にペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。現にペリカンが如何に出渋っても、余は未だかつて彼を洗濯した試がなかった。夫でペリカンの方でも半ば余に愛想を尽かし、余の方でも半ばペリカンを見限って、此正月「彼岸過迄」を筆するとき・・・ 夏目漱石 「余と万年筆」
・・・一、官の学校には、教師の外に俗吏の員、必ず多く、官の財を取扱うこと、あるいは深切ならずして、費冗はなはだ多し。この金を私学校に用いなば、およそ四倍の実用をなすべし。その失、一なり。一、官の学校にある者は、親しく政府の挙動を聞見して、・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
出典:青空文庫