・・・そう云う臆病ものを崇める宗旨に何の取柄がございましょう? またそう云う臆病ものの流れを汲んだあなたとなれば、世にない夫の位牌の手前も倅の病は見せられません。新之丞も首取りの半兵衛と云われた夫の倅でございます。臆病ものの薬を飲まされるよりは腹・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・ そこで、茨城の方の田舎とやらに病院を建てた人が、もっともらしい御容子を取柄に副院長にという話がありましたそうで、早速家中それへ引越すことになりますと、お米さんでございます。 世帯を片づけついでに、古い箪笥の一棹も工面をするからどち・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・――雪の中を跣足で歩行く事は、都会の坊ちゃんや嬢さんが吃驚なさるような、冷いものでないだけは取柄です。ズボリと踏込んだ一息の間は、冷さ骨髄に徹するのですが、勢よく歩行いているうちには温くなります、ほかほかするくらいです。 やがて、六七町・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ しかしあの男のどこに取柄があります。第一、と言いかけるを押し止めて、もういいわ、お前はお前の了簡で嫌うさ。私は私で結交うから、もうこのことは言わぬとしよう。それでいいではないか。顔を赤め合うのもつまらんことだ。と言えども色に出づる不満・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 温和で正直だけが取柄の人間の、その取柄を失なったほど、不愉快な者はあるまい。渋を抜た柿の腐敗りかかったようなもので、とても近よることは出来ない。妻が自分を面白からず思い気味悪るう思い、そして鬱いでばかりいて、折り折りさも気の無さそうな・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・マルタの妹のマリヤは、姉のマルタが骨組頑丈で牛のように大きく、気象も荒く、どたばた立ち働くのだけが取柄で、なんの見どころも無い百姓女でありますが、あれは違って骨も細く、皮膚は透きとおる程の青白さで、手足もふっくらして小さく、湖水のように深く・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・でも、あたしの取柄は、アンマ上下、それだけじゃないんですよ。それだけじゃ、心細いわねえ。もっと、いいとこもあるんです」 素直に思っていることを、そのまま言ってみたら、それは私の耳にも、とっても爽やかに響いて、この二、三年、私が、こんなに・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・私は、何一つ取柄のない男であるが、文学だけは、好きである。三度の飯よりも、というのは、私にとって、あながち比喩ではない。事実、私は、いい作品ならば三度の飯を一度にしても、それに読みふけり、敢て苦痛を感じない。私は、そんな馬鹿である。そう自分・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・とか「何も取柄のない女だ」などと平気でそんな毒口をきくような良人との間に、どうして純粋な清い愛があったといえましょう。こういう複雑な問題は、単にああなったことを、いいとか悪いとかというたような、世間並な批評は通用しないでしょう。夫人がこうい・・・ 宮本百合子 「行く可き処に行き着いたのです」
出典:青空文庫