・・・静まり返っていた兵卒たちは、この音に元気を取り直したのか、そこここから拍手を送り出した。穂積中佐もほっとしながら、彼の周囲を眺め廻した。周囲にい並んだ将校たちは、いずれも幾分か気兼そうに、舞台を見たり見なかったりしている、――その中にたった・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・若い者は一寸誘惑を感じたが気を取直して、「困るでねえか、そうした事店頭でおっ広げて」というと、「困ったら積荷こと探して来う」と仁右衛門は取り合わなかった。 昼になっても荷の回送はなかった。仁右衛門は自分からいい出しながら・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 罪人は気を取り直した様子で、広間に這入って来た。一刹那の間、一種の、何物をか期待し、何物をか捜索するような目なざしをして、名誉職共の顔を見渡した。そしてフレンチは、その目が自分の目と出逢った時に、この男の小さい目の中に、ある特殊の物が・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・待て、人の妻と逢曳を、と心付いて、首を低れると、再び真暗になった時、更に、しかし、身はまだ清らかであると、気を取直して改めて、青く燃ゆる服の飾を嬉しそうに見た。そして立花は伊勢は横幅の渾沌として広い国だと思った。宵の内通った山田から相の山、・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・お光さんもさすがに心を取り直して、「まァかわいらしいこと、やっぱりこんなかわいい子の親はしあわせですわ」「よいあんばに小雨になった、さァ出掛けましょう」 雨は海上はるかに去って、霧のような煙のような水蒸気が弱い日の光に、ぼっと白・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・今度は民子が心を取り直したらしく鮮かな声で、「政夫さん、もう半分道来ましてしょうか。大長柵へは一里に遠いッて云いましたねイ」「そうです、一里半には近いそうだが、もう半分の余来ましたろうよ。少し休みましょうか」「わたし休まなくとも・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・またあの奴民子が居ないから考え込んで居やがると思われるも口惜しく、ようやく心を取直し、母の枕元へいって夜遅くまで学校の話をして聞かせた。 翌くる日は九時頃にようやく起きた。母は未だ寝ている。台所へ出て見ると外の者は皆また山へ往ったとかで・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「それもこれもお前が心一つを取り直しさえすれば、おまえの運はもちろん、家の面目も潰さずに済むというものだ。省作とてお前がなければまたえい所へも養子に行けよう。万方都合よくなるではないか。ここをな、おとよとくと聞き別けてくれ、理の解らぬお・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・しかし彼は幾度も心を取り直して生活に向かっていった。が、彼の思索や行為はいつの間にか佯りの響をたてはじめ、やがてその滑らかさを失って凝固した。と、彼の前には、そういった風景が現われるのだった。 何人もの人間がある徴候をあらわしある経過を・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・そのたびに気を取り直して、また私は子供を護ろうとする心に帰って行った。 安い思いもなしに、移り行く世相をながめながら、ひとりでじっと子供を養って来た心地はなかった。しかし子供はそんな私に頓着していなかったように見える。 七年も見・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫