・・・代診を養子に取立ててあったのが、成上りのその肥満女と、家蔵を売って行方知れず、……下男下女、薬局の輩まで。勝手に掴み取りの、梟に枯葉で散り散りばらばら。……薬臭い寂しい邸は、冬の日売家の札が貼られた。寂とした暮方、……空地の水溜を町の用心水・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・蒟蒻、蒲鉾、八ツ頭、おでん屋の鍋の中、混雑と込合って、食物店は、お馴染のぶっ切飴、今川焼、江戸前取り立ての魚焼、と名告を上げると、目の下八寸の鯛焼と銘を打つ。真似はせずとも可い事を、鱗焼は気味が悪い。 引続いては兵隊饅頭、鶏卵入の滋養麺・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・どこを取り立てて特別心を惹くようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。 なにかある。ほんとうになにかがそこにある。と言ってその気持を口に出せば、もう空ぞらしいものになってしまう。 たとえばそれを故のない淡い憧憬と言ったふう・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 五 村役場から、税金の取り立てが来ていたが、丁度二十八日が日曜だったので、二十九日に、源作は、銀行から預金を出して役場へ持って行った。もう昨日か、一昨日かに村の大部分が納めてしまったらしく、他に誰れも行っていなかっ・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ 信用組合からの利子の取立てと、頼母子講の掛戻と、女房と、息子の反対は、次第に親爺を苦るしくして行った。 三人が百姓に専心して、その収穫が、どうしても、利子に追いつかなかった。このまゝで行けば、買った土地を、又、より安くで売り払って・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・その別に取立てて云うほどの何があるでも無い眼を見て、初めて夫がホントに帰って来たような気がし、そしてまた自分がこの人の家内であり、半身であると無意識的に感じると同時に、吾が身が夫の身のまわりに附いてまわって夫を扱い、衣類を着換えさせてやった・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・趙再思は仕方なしに俟っていると、暮方になって漸く季は出て来て、余怒なお色にあるばかりで、「自分に方鼎を売付けた王廷珸という奴めは人を馬鹿にした憎い奴、南科の屈静源は自分が取立てたのですから、今書面を静源に遣わしました。静源は自分のためにこの・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・そこで与一は赤沢宗益というものと相談して、この分では仕方がないから、高圧的強請的に、阿波の六郎澄元殿を取立てて家督にして終い、政元公を隠居にして魔法三昧でも何でもしてもらおう、と同盟し、与一はその主張を示して淀の城へ籠り、赤沢宗益は兵を率い・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・私はあの人に説教させ、群集からこっそり賽銭を巻き上げ、また、村の物持ちから供物を取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。お礼を言わぬどころか・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・特に彼の人種の事までも取り立てて考えるほどの事ではないと思われる。 夜はよく眠るそうである。神経のいらいらした者が、彼のような仕事をして、そしてそれが成効に近づいたとすればかなり興奮するにちがいない。勝手に仕事を途中で中止してのんきに安・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫