熊本の徳富君猪一郎、さきに一書を著わし、題して『将来の日本』という。活版世に行なわれ、いくばくもなく売り尽くす。まさにまた版行せんとし、来たりて余の序を請う。受けてこれを読むに、けだし近時英国の碩学スペンサー氏の万物の追世・・・ 中江兆民 「将来の日本」
・・・そうして肉の註文を受けたことが事実であるとすれば赤は到底助かれないと信じた。赤犬の肉は黴毒の患者に著しい効験があると一般に信ぜられて居るのである。太十は酷く其胸を焦した。五 次の日に懇意な一人が太十の畑をおとずれた。彼は能く・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・籠ランプの灯を浅く受けて、深さ三尺の床なれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ趣がある。「ここにも画が出来る」と柱に靠れる人が振り向きながら眺める。 女は洗えるままの黒髪を肩に流して、丸張りの絹団扇を軽く揺がせば、・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・カントの排斥を受けねばならなかった所以である。 真に自己自身によってあり、自己自身を限定するものは、それ自身に於てあり、それ自身によって理解せられるのみならず、自己自身を理解するもの、自覚するものでなければならない。然らざれば、それは我・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・特に就中、詩人の影響されたことは著るしく、独逸のデエメル、イワン・ゴール、仏蘭西のグウルモン、ジャン・コクトオ、ヴァレリイ等、殆んど近代の詩人にして、ニイチェからの思想的、哲学的影響を受けないものは一人もない。 それほどニイチェは、多く・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・本田家の邸内を護衛していた、小作人組合に入っていない、青年団の青年たちや、消防組員までも、一応は取調べを受けた。 これは一つの暗示であった。 地主共は、誰を信じてよいか? 消防組、青年団は、何のために護衛し、非常線を張り且つか?・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・一人でさえ持て余しそうだのに、二人まで大敵を引き受けてたまるもんか。平田、君が一方を防ぐんだ。吉里さんの方は僕が引き受けた。吉里さん、さア思うさま管を巻いておくれ」「ほほほ。あんなことを言ッて、また私をいじめようともッて。小万さん、お前・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・この店子をして他の家主の支配を受けしめ、この区長を転じて隣村の区長たらしめなば、必ずこれに満足せずして旧を慕うことあるべし。 而してその旧、必ずしも良なるに非ず、その新、必ずしも悪しきに非ず。ただいたずらに目下の私に煩悶するのみ。けだし・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ する中に、知らず識らず文学の影響を受けて来た。尤もそれには無論下地があったので、いわば、子供の時から有る一種の芸術上の趣味が、露文学に依って油をさされて自然に発展して来たので、それと一方、志士肌の齎した慷慨熱――この二つの傾向が、当初・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・電信をお発し下すったなら、明後日午後二時から六時までの間にお待受けいたすことが出来ましょう。もうこれで何もかも申上げましたから、手紙はおしまいにいたしましょう。わたくしはきっと電信が参る事と信じています。どうぞこの会合をお避けなさらないで、・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫