・・・ この話は我国に多かった奉教人の受難の中でも、最も恥ずべき躓きとして、後代に伝えられた物語である。何でも彼等が三人ながら、おん教を捨てるとなった時には、天主の何たるかをわきまえない見物の老若男女さえも、ことごとく彼等を憎んだと云う。これ・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・ちょうど薄日に照らされた窓は堂内を罩めた仄暗がりの中に、受難の基督を浮き上らせている。十字架の下に泣き惑ったマリヤや弟子たちも浮き上らせている。女は日本風に合掌しながら、静かにこの窓をふり仰いだ。「あれが噂に承った南蛮の如来でございます・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・ 上人「御主御受難の砌は、エルサレムにいられたか。」「さまよえる猶太人」「如何にも、眼のあたりに御受難の御有様を拝しました。元来それがしは、よせふと申して、えるされむに住む靴匠でござったが、当日は御主がぴらと殿の裁判を受けられるとす・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・かゝる芸術の受難時代が、いつまでつゞくか分りませんが、考えようによって、アムビシャスな作家には、興味ある時代であります。 小川未明 「作家としての問題」
・・・彼は、ほんとうの幸福とは、外から得られぬものであって、おのれが英雄になるか、受難者になるか、その心構えこそほんとうの幸福に接近する鍵である、という意味のことを言い張ったのであった。彼のふるさとの先輩葛西善蔵の暗示的な述懐をはじめに書き、それ・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・そうしてエイズス・キリストスの降誕、受難、復活のてんまつ。シロオテの物語は、尽きるところなかった。 白石は、ときどき傍見をしていた。はじめから興味がなかったのである。すべて仏教の焼き直しであると独断していた。 白石のシロオテ訊問・・・ 太宰治 「地球図」
・・・ ヴォルテール、ルソオの受難を知るや。せいぜい親孝行するさ。 身を以てボオドレエルの憂鬱を、プルウストのアニュイを浴びて、あらわれるのは少くとも君たちの周囲からではあるまい。(まったくそうだよ。太宰、大いにやれ。あの教授たちは、・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・住み難き世を人一倍に痛感しまことに受難の子とも呼ぶにふさわしい、佐藤春夫、井伏鱒二、中谷孝雄、いまさら出家遁世もかなわず、なお都の塵中にもがき喘いでいる姿を思うと、――いやこれは対岸の火事どころの話でない。おのれの作品のよしあしをひ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ キリストの磔刑を演出する受難劇の場面で始まるこのフランス映画には、おしまいまで全編を通じて一種不思議な陰惨で重くるしい悪夢のような雰囲気が立ち込めている。これはもちろんこの映画の題材にふさわしいように製作者の意図によって故意にかもし出・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・そう思ってみると、一年に一回ずつ特別な日を設けて、それを理由などかまわずとにもかくにもめでたい日ときめてしまって強いてめでたがり、そうしてそのたびに発生するいろいろな迷惑をいっそう痛切に受難することにもなかなか深い意義があるような気がしてく・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫