・・・灘山の端を月はなれて雲の海に光を包めば、古城市はさながら乾ける墓原のごとし。山々の麓には村あり、村々の奥には墓あり、墓はこの時覚め、人はこの時眠り、夢の世界にて故人相まみえ泣きつ笑いつす。影のごとき人今しも広辻を横ぎりて小橋の上をゆけり。橋・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 命令通りすればいいんだ!」 俺のあとから、七十人位やって来た。みな、銃と剣と弾薬を持った。そこで防備は、どこだと思う? 古城子の露天掘りだ! 石炭を掘っている苦力の番をするのだ。「なに! 苦力の番だって! 馬鹿にしてやがら!」・・・ 黒島伝治 「防備隊」
・・・ 何となく寂びれて来た矢場の中には、古城に満ち溢れた荒廃の気と、鳴を潜めたような松林の静かさとに加えて、そこにも一種の沈黙が支配していた。皮の剥げたほど古い欅の若葉を通して、浅間一帯の大きな傾斜が五月の空に横わるのも見えた。矢場の後にあ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・山中、湖畔の古城に住んでいる令嬢、そんな感じがある。厭に、ほめてしまったものだ。小杉先生のお話は、どうして、いつもこんなに固いのだろう。頭がわるいのじゃないかしら。悲しくなっちゃう。さっきから、愛国心について永々と説いて聞かせているのだけれ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ それやこれやで、私は、私自身、湖畔の或る古城に忍び入る戦慄の悪徳物語を、断念せざるを得なくなった。その古城には、オフェリヤに似た美しい孤独の令嬢もいるのだけれど。いまは一切を語らぬ。いい気になって、れいの調子づいて、微にいり細をうがっ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ この主人公は名を杉田古城といって言うまでもなく文学者。若いころには、相応に名も出て、二、三の作品はずいぶん喝采されたこともある。いや、三十七歳の今日、こうしてつまらぬ雑誌社の社員になって、毎日毎日通っていって、つまらぬ雑誌の校正までし・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ ニュールンベルグの古城で、そこに収集された昔の物すごい刑具の類を見物した事がある。名高い「鉄の処女」の前で説明をしていた案内者はまだうら若い女であった。いったいに病身らしくて顔色も悪く、なんとなく陰気な容貌をしていた。見物人中の学生ふ・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・ 翌日はレエゲンシタインの古城を見に行った。ただ一塊りの大きな岩山を切り刻んで出来たものである。何となしに鬼ヶ島を思わせた。囚虜を幽閉したという深い井戸のような穴があった。夜にでもなったら古い昔のドイツ戦士の幻影がこの穴から出て来て、風・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・の貧しいコレクションの中には「シヨンの古城」があった。それからたしかルツェルンかチューリヒ湖畔の風景もあった。スイスの湖水と氷河の幻はそれから約二十年の間自分につきまとっていた。そうしてとうとう身親しくその地をおとずれる日が来たのであったが・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・名高い古城の片すみには昔の刑具を陳列した塔があります。色の青い小さい女が説明して歩く。いっしょに見て歩いた学生ふうの男がこの案内者に「お前さんのように毎日朝から晩まで身の毛のよだつような話を繰り返していてそれでなんともありませんか」と意地の・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
出典:青空文庫