・・・ケーベルさんは始めて日本へ来て、日本の学生が古典語を知らないで哲学を学ぶということが、如何にも浅薄に感ぜられたらしい。私が或日先生を訪問してアウグスチヌスの近代語訳がないかとお聞きしたところ、先生はお前はなぜ古典語を学ばないかといわれた。私・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・論者が、しきりに近世の著書・新聞紙等の説を厭うて、もっぱら唐虞三代の古典を勧むるは、はたしてこの古典の力をもって今の新説を抹殺するに足るべしと信ずるか。しかのみならず論者が、今の世態の、一時、己が意に適せずして局部に不便利なるを発見し、その・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・昔日の道徳も今日の道徳も、その分量においてはさらに増減あることなく、啻に増減あらざるのみならず、古書に載するところをもって果して信とせば、道徳の量はかえって昔日に多くして、末世の今日にいたり大にその量を減じたる割合なれども、かえりみて文明の・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・曙覧が古典を究め学問に耽りしことは別に説くを要せず。貧苦の中にありて「机に千文八百文堆く載せ」たりという一事はこれを証して余りあるべし。その敬神尊王の主義を現したる歌の中に高山彦九郎正之大御門そのかたむきて橋上に頂根突け・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・しかれども赤貧洗うがごとく常に陋屋の中に住んで世と容れず。古書堆裏独破几に凭りて古を稽え道を楽む。詠歌のごときはもとよりその専攻せしところに非ざるべきも、胸中の不平は他に漏らすの方なく、凝りて三十一字となりて現れしものなるべく、その歌が塵気・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ 文化に対する理解がそこにあるとされているが、そういう国では現在青年群に与える読みものとしてそういう古典を整頓しているほか、その青年たちが成人したときその世代の文化的創造力を溌溂旺盛ならしめるために、どんな独創の可能を培いつつあるのだろ・・・ 宮本百合子 「明日の実力の為に」
・・・はそういう特性をもった日本の若い無抵抗な労働婦人が、ある時代に経なければならなかった生活記録として、世界的な意味をもつ古典なのである。 今日の生産拡充の要求は、これまでならばオフィス・ガールになったであろう若い婦人たちを生産面での活動に・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・それが支那の古書であるのは、いま西洋の書が獲がたくして、そのたまたま獲べきものがみな戦争をいうがゆえである。これはレセプチイフの一面である。他のプロドュクチイフの一面においては、かの文士としての生涯の惰力が、わずかに抒情詩と歴史との部分に遺・・・ 森鴎外 「なかじきり」
・・・彼の眼界は、日本、シナ、インドの全体にわたり、仏教哲学、程朱の学、日本の古典などにすべて通じている。著書も多く、当時の学問の集大成の観がある。したがって思想傾向も、一切を取り入れて統一しようという無傾向の傾向であって、好くいえば総合的、悪く・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・慶長四年の『孔子家語』、『六韜三略』の印行を初めとして、その後連年、『貞観政要』の刊行、古書の蒐集、駿府の文庫創設、江戸城内の文庫創設、金沢文庫の書籍の保存などに努めた。そうして慶長十二年には、ついに林羅山を召し抱えるに至った。家康がキリシ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫