・・・しかし驚いたけはいも見せず、それぎり別々の方角へ、何度も叩頭を続け出した。「故郷へ別れを告げているのだ。」――田口一等卒は身構えながら、こうその叩頭を解釈した。 叩頭が一通り済んでしまうと、彼等は覚悟をきめたように、冷然と首をさし伸した・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 下廊下を、元気よく玄関へ出ると、女連の手は早い、二人で歩行板を衝と渡って、自分たちで下駄を揃えたから、番頭は吃驚して、長靴を掴んだなりで、金歯を剥出しに、世辞笑いで、お叩頭をした。 女中が二人出て送る。その玄関の燈を背に、芝草と、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ と、破れ布子の上から見ても骨の触って痛そうな、痩せた胸に、ぎしと組んだ手を解いて叩頭をして、「御苦労様でございます。」「むむ、御苦労様か。……だがな、余計な事を言わんでも可い。名を言わんかい。何てんだ、と聞いてるんじゃないか。・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 私は五六尺飛退って叩頭をしました。「汽車の時間がございますから。」 お米さんが、送って出ました。花菜の中を半の時、私は香に咽んで、涙ぐんだ声して、「お寂しくおいでなさいましょう。」 と精一杯に言ったのです。「いいえ・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ 甘谷は立続けに叩頭をして、「そこで、おわびに、一つ貴女の顔を剃らして頂きやしょう。いえ、自慢じゃありませんがね、昨夜ッから申す通り、野郎図体は不器用でも、勝奴ぐらいにゃ確に使えます。剃刀を持たしちゃ確です。――秦君、ちょっと奥へ行・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 紫玉の眉の顰む時、五間ばかり軒を離れた、そこで早や、此方へぐったりと叩頭をする。 知らない振して、目をそらして、紫玉が釵に俯向いた。が、濃い睫毛の重くなるまで、坊主の影は近いたのである。「太夫様。」 ハッと顔を上げると、坊・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・の影を競いつつ、末は次第に流の淀むように薄く疎にはなるが、やがて町尽れまで断えずに続く…… 宵をちと出遅れて、店と店との間へ、脚が極め込みになる卓子や、箱車をそのまま、場所が取れないのに、両方へ、叩頭をして、「いかがなものでございま・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ たちまちくるりとうしろ向きに、何か、もみじの散りかかる小紋の羽織の背筋を見せて、向うむきに、雪の遠山へ、やたらに叩頭をする姿で、うつむいて、「おほほ、あはは、あははははは。あははははは。」 やがて、朱鷺色の手巾で口を蔽うて、肩・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・(ぐったりと叩頭して、頭の上へ硝子杯――お旦那、もう一杯、注いで下せえ。万屋 船幽霊が、柄杓を貸せといった手つきだな。――底ぬけと云うは、これからはじまった事かも知れない。……商売だからいくらでも売りはするが。(呑口を捻――親仁、またそ・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・世間並のお世辞上手な利口者なら町内の交際ぐらいは格別辛くも思わないはずだが、毎年の元旦に町名主の玄関で叩頭をして御慶を陳べるのを何よりも辛がっていた、負け嫌いの意地ッ張がこんな処に現われるので、心からの頭の低い如才ない人では決してなかった。・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫