・・・敵の捨てて遁げた汚い洋館の板敷き、八畳くらいの室に、病兵、負傷兵が十五人、衰頽と不潔と叫喚と重苦しい空気と、それにすさまじい蠅の群集、よく二十日も辛抱していた。麦飯の粥に少しばかりの食塩、よくあれでも飢餓を凌いだ。かれは病院の背後の便所を思・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手では烏瓜の花が薄暮の垣根に咲き揃っていつもの蛾の群はいつものように忙わしく蜜をせせっているのであった。 地震があれば壊れるような家を・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手ではからすうりの花が薄暮の垣根に咲きそろっていつもの蛾の群れはいつものようにせわしく蜜をせせっているのであった。 地震があればこわれ・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・そういう町人風な保身の分別で、同時代人の叫喚の声がきき流された。一握りの思慮分別の足りない頭のわるいものたちの抵抗は、一人一人の自分を説得する名目を発見しながらおとなしくファシズムのもとにひしがれることを観念しつつある知性を刺戟した。実体は・・・ 宮本百合子 「世紀の「分別」」
・・・ もしかしたらこの爺さんも当時の叫喚をその耳で聞き、或は自身その声をあげて突進した中の一人かも知れない。それは決して、あり得ない空想ではないのであった。 労働者住宅から八九丁のところに、起重機が突立ち工事が起されている。石油の試掘で・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・この身にしみる叫喚の快い響、何処となく五官を爽かにする死霊の前ぶれ。――おや、あの木立もない広っぱに、大分かたまって蠢いていますね。ミーダ 目に止まらずに恐ろしいのは俺の力だ。見ろ、慌てふためいた人間どもを、火が移ったら其ぎりの小舟や橋・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・我の享楽のためにローマの古いいくたの歴史の生れた市を火にしてその□(に薪木からのぼる焔に巨大な頭をかがやかせ高楼の上に黄金の□□□□(の絃をかきならして大悲劇詩人の形をまねて焔の鬨の声とあわれな市民の叫喚の声とをききながら歌うネロの驕った紫・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・救われずして地獄の九圏の中に阿鼻叫喚しているはずの、たとえば歴山大王や奈翁一世のごとき人間がかえって人生究竟の地を示したか。これは未決問題である。宗教の信仰に救われて全能者の存在を霊妙の間に意識し断乎たる歩武を進めて Im schnen, ・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫