・・・ 四日、初めて耕海入道と号する紀州の人と知る。齢は五十を超えたるなるべけれど矍鑠としてほとんと伏波将軍の気概あり、これより千島に行かんとなり。 五日、いったん湯の川に帰り、引かえしてまた函館に至り仮寓を定めぬ。 六日、無事。・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ わが亡友の中に帚葉山人と号する畸人があった。帚葉山人はわざわざわたくしのために、わたくしが頼みもせぬのに、その心やすい名医何某博士を訪い、今日普通に行われている避姙の方法につき、その実行が間断なく二、三十年の久しきに渉っても、男子の健・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・すると、やがて僕の身辺をそれとなく護衛していたと号する一青年が顕れて、結局酒手と車代とを請求した。給仕女に名刺を持たせてお話をしたい事があるからと言って寄越す人が多い時には一夜に三四人も出て来るようになった。春陽堂と改造社との両書肆が相競っ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・○立ち廻りとか、だんまりとか号するものは、前後の筋に関係なき、独立したる体操、もしくは滑稽踊として賞翫されているらしい。筋の発展もしくは危機切逼という点から見たら、いかにも常識を欠いた暢気な行動である。もしくは過長の運動である。その代り・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
・・・芸者屋の湊屋と号するも、吉原の湊屋の号より取ったものであった。明治四年二月の頃、この家の抱えは貫六、万吉、留八の三人であった。この河野は香以の息だと聞いた。」この話は正確を保し難い。かつ未だ芥川氏にも尋ねて見ない。しかし河野が果して香以の息・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫