・・・ 従来の言説においては私の個性の内的衝動にほとんどすべての重点をおいて物をいっていた。各自が自己をこの上なく愛し、それを真の自由と尊貴とに導き行くべき道によって、突き進んで行くほかに、人間の正しい生活というものはありえないと私自身を発表・・・ 有島武郎 「想片」
・・・その混り具合によって、兄弟の性格が各自異なっているのだと思う。私自身の性格から言えば、もとより南方の血を認めないわけにはいかないが、わりに北方の血を濃く承けていると思う。どっちかといえば、内気な、鈍重な、感情を表面に表わすことをあまりしない・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・それはむろん人々各自の自由である。しかしこの際において、我々青年が過去においていかにその「自己」を主張し、いかにそれを失敗してきたかを考えてみれば、だいたいにおいて我々の今後の方向が予測されぬでもない。 けだし、我々明治の青年が、まった・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・が、筆のついでに、座中の各自が、好、悪、その季節、花の名、声、人、鳥、虫などを書きしるして、揃った処で、一……何某……好なものは、美人。「遠慮は要らないよ。」 悪むものは毛虫、と高らかに読上げよう、という事になる。 箇条の中に、・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・赫と射る日に、手廂してこう視むれば、松、桜、梅いろいろ樹の状、枝の振の、各自名ある神仙の形を映すのみ。幸いに可忌い坊主の影は、公園の一木一草をも妨げず。また……人の往来うさえほとんどない。 一処、大池があって、朱塗の船の、漣に、浮いた汀・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・お早うございますが各自に交換され、昨日のこと天気のよいことなど喃々と交換されて、気の引き立つほどにぎやかになった。おとよさんは、今つい庭さきまで浮かぬ顔色できたのだけれど、みんなと三言四言ことばを交えて、たちまち元のさえざえした血色に返った・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
汽車がとまる。瓦斯燈に「かしはざき」と書いた仮名文字が読める。予は下車の用意を急ぐ。三四人の駅夫が駅の名を呼ぶでもなく、只歩いて通る。靴の音トツトツと只歩いて通る。乗客は各自に車扉を開いて降りる。 日和下駄カラカラと予の先きに三人・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・その頃はモウかなり戦術が開けて来たのだが、大将株が各自に自由行動を取っていて軍隊なぞは有るのか無いのか解らない。これに対抗する里見勢もまた相当の数だろうが、ドダイ安房から墨田河原近くの戦線までかなりな道程をいつドウいう風に引牽して来たのやら・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 幻滅の悲哀は、人間生活の何の部面にも見出された事実ではあったが、殊に、各自の家庭に、最も、そのことを見出した。恋愛至上主義によって、結婚した男女は、いまや、幻滅の悲哀を感じて、いまゝで美しかったもの愛したものに、限りない憎悪と醜悪とを・・・ 小川未明 「婦人の過去と将来の予期」
主義を異にし、主張を異にしている作家は、各自の天分ある主観によって人生を異った方面から解釈している。材料を異った方面から採って来ている。或主義と或主義と相容れないのは、人生に対する解釈が異い、観方が異うからである。或る作家は社会に生起・・・ 小川未明 「若き姿の文芸」
出典:青空文庫