・・・女は日本風に合掌しながら、静かにこの窓をふり仰いだ。「あれが噂に承った南蛮の如来でございますか? 倅の命さえ助かりますれば、わたくしはあの磔仏に一生仕えるのもかまいません。どうか冥護を賜るように御祈祷をお捧げ下さいまし。」 女の声は・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・そのまた海辺には人間よりも化け物に近い女が一人、腰巻き一つになったなり、身投げをするために合掌していた。それは「妙々車」という草双紙の中の插画だったらしい。この夢うつつの中の景色だけはいまだにはっきりと覚えている。正気になった時のことは覚え・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ 如来が雷音に呼びかけた時、尼提は途方に暮れた余り、合掌して如来を見上げていた。「わたくしは賤しいものでございまする。とうていあなた様のお弟子たちなどと御一しょにおることは出来ませぬ。」「いやいや、仏法の貴賤を分たぬのはたとえば・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・いまにも胴中から裂けそうで、串戯どころか、その時は、合掌に胸を緊めて、真蒼になって、日盛の蚯蚓でのびた。叔父の鉄枴ヶ峰ではない。身延山の石段の真中で目を瞑ろうとしたのである。 上へも、下へも、身動きが出来ない。一滴の露、水がなかった。・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 薄色の桃色の、その一つの紅茸を、灯のごとく膝の前に据えながら、袖を合せて合掌して、「小松山さん、山の神さん、どうぞ茸を頂戴な。下さいな。」と、やさしく、あどけない声して言った。「小松山さん、山の神さん、 どうぞ、茸を頂戴な・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ この頭目、赤色の指導者が、無遠慮に自動車へ入ろうとして、ぎろりと我が銑吉を視て、胸さきで、ぎしと骨張った指を組んで合掌した……変だ。が、これが礼らしい。加うるに慇懃なる会釈だろう。けれども、この恭屈頂礼をされた方は――また勿論されるわ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・就中椿岳が常住起居した四畳半の壁に嵌込んだ化粧窓は蛙股の古材を両断して合掌に組合わしたのを外框とした火燈型で、木目を洗出された時代の錆のある板扉の中央に取附けた鎌倉時代の鉄の鰕錠が頗る椿岳気分を漂わしていた。更にヨリ一層椿岳の個性を発揮した・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・自分をつまらぬ者にきめていた豹一は、放浪の半年を振りかえってみて、そんな母親の愛情が身に余りすぎると思われ、涙脆く、すまない、すまないと合掌した。お君はもう笑い声を立てることもなかった。お君の関心が豹一にすっかり移ってしまったので、安二郎は・・・ 織田作之助 「雨」
・・・黙って行方をくらませた女を恨みもせず、その当座女の面影を脳裡に描いて合掌したいくらいだった。……「――うちの禿げ婆のようなものも女だし、あの女のようなのもいるし、女もいろいろですよ」「で、その女がお定だったわけ……?」「三年後に・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 私はこう言って羽織と足袋を脱ぎ、袴をつけて、杉の樹間の暗い高い石段を下り、そこから隣り合っている老師のお寺の石段を、慄える膝頭を踏ん張り、合掌の姿勢で登って行ったのであった。春以来二三度独参したことがあるがいつも頭からひやかされるので・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
出典:青空文庫