・・・現世の心の苦しみが堪えられませぬで、不断常住、その事ばかり望んではおりますだが、木賃宿の同宿や、堂宮の縁下に共臥りをします、婆々媽々ならいつでも打ちも蹴りもしてくれましょうが、それでは、念が届きませぬ。はて乞食が不心得したために、お生命まで・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・八 その翌朝、同宿の者が皆出払うのを待って、銭占屋は私に向って、「ねえ君、妙な縁でこうして君と心安くしたが、私あ今日向地へ渡ろうと思うからね、これでいよいよお別れだ。お互に命がありゃまた会わねえとも限らねえから、君もまあ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ ある日樋口という同宿の青年が、どこからか鸚鵡を一羽、美しいかごに入れたまま持って帰りました。 この青年は、なぜかそのころ学校を休んで、何とはなしに日を送っていましたが、私には別に不思議にも見えませんでした。 午後三時ごろ、学校・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・けれども、こんな日常倫理のうえの判り切った出鱈目を、知らぬ顔して踏襲して行くのが、また世の中のなつかしいところ、血気にはやってばかな真似をするなよ、と同宿のサラリイマンが私をいさめた。いや、と私は気を取り直して心のなかで呟く。ぼくは新しい倫・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・そこで茶をのんで餅をつまんでいたら、同宿の若い夫婦連れがあとからはいって来た。腰を下ろしたと思うと御主人が「や、しまった、財布を忘れた」といって懐を撫でまわしている。失礼ではあったが自分たちの盆の餅をすすめて、そうしてこの人たちから新築のホ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ もう一人の同宿者があった。どこかの小学校の先生であったと思う。自分で魚市場から買って来た魚をそのまま鱗も落さずわたも抜かずに鉄網で焼いてがむしゃらに貪り食っていた。その豪傑振りをニヤニヤ笑っていたのは当時張良をもって自ら任じていたKで・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・ロンドンの宿に同宿していた何とかいう爺さんが、夕飯後ストーヴの前で旨そうにパイプをふかしながら自分等の一行の田所氏を捉まえて、ミスター・ターケドーロと呼びかけてはしきりにアイルランド問題を論じていた。このターケドーロが出ると日本人仲間は皆笑・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・この事を同宿のドイツ人に話したら、オペラはドイツに限るのだと言っていばっていました。ここではワグネル物をたとえば四幕のものなら二幕ぐらいに切って演じたり、勝手な事をすると言ってひどく憤慨していました。・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・当時先生の宿は西子飼橋という橋の近くで、前記の化学のK先生と同宿しておられた。厳格な先生のところへ、そういう不届き千万な要求を持ち込むのだから心細い。しかられる覚悟をきめて勇気をふるって出かけて行ったが、先生は存外にこうしたわれわれの勝手な・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・「立派なる室を有する寡婦及その妹と共に同宿せんとするあまり派出やかならざる紳士を求む。御望の方は○○筆墨店へ御一報を乞う」。まずここへでも一つあたってみようと云う気になったから直ぐ手紙を書いて、宿料その他委細の事を報知して貰いたい、小生の身・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
出典:青空文庫