・・・とあり、また名字正しき侍にはこの害なく卑賤の者は金持ちでもあてられるなどと書いてある。ここにも時代の反映が出ていておもしろい。雲萍雑誌には「西国方に風鎌というものあり」としてある。この現象については先年わが国のある学術雑誌で気象・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・スウルヂェエにしろ、ジネストにしろ、いずれも誰にも知られない平民的な苗字で目下自分の交際している貴夫人何々の名に比べてみれば、すこぶる殺風景である。しかしこの平民的な苗字が自分の中心を聳動して、過ぎ去った初恋の甘い記念を喚び起すことは争われ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・二字の苗字を一字に縮めたるは言うまでもなく、その字面より見るも修辞派の臭味を帯びたり。 蕪村の絵画は余かつて見ず、ゆえにこれを品評すること難しといえども、その意匠につきては多少これを聞くを得たり。蕪村は南宗より入りて南宗を脱せんと工夫せ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
おとら狐のはなしは、どなたもよくご存じでしょう。おとら狐にも、いろいろあったのでしょうか、私の知っているのは、「とっこべ、とら子」というのです。「とっこべ」というのは名字でしょうか。「とら」というのは名前ですかね。そう・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・ 芳子さんと政子さんは、同じ一族の人々ですから、二人とも苗字は、同じで三田といいました。「貴女とは従姉妹同志ですね。政子さんの御両親はいつ頃お亡くなりになりました?」「私は、余り小さい時分でございますから、ちっとも覚えては居りま・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・と云う誰でもが覚えにくがる栄蔵の名字を二度ききなおしてから、奥へ入って行ったがやがてすぐに客間に通された。 あの茶色の畳の下駄を書生の手でなおされるのかと思うと、心苦しい様だし、又厚いふっくらした絹の座布団を出されても敷く気がしなかった・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ハガキをうちかえして眺めながらこっちからやるときは名まで書いてやれることを胴忘れして、もし同じ部隊に同じ苗字のひとが二人いたらどうするのだろうかと不図懸念したりした。 一枚のハガキが来たきりで、又暫く音信が絶えていたところ、先日不意に航・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・若し間違えては否ないと云うので、戸の傍に掛って居る札の自分に読める名字を確かめてから看護婦のする様にコツコツと拳で叩いてから大人になった様な心持で入って行った。 その部屋へ行く途中の手術室の前を通るときに、チラチラ見える人影や何かに好奇・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・ところが、卒業後五六年迄の間に、何という友達の苗字の変ることか。一人一人と結婚し、一人一人と、変った姓で呼ばれることになる。結婚してから幾年か経ちでもすれば、良人の姓にも馴れ、記憶に刻まれるのだけれども、今迄、呼びなれていた友の名が、何時の・・・ 宮本百合子 「追想」
・・・ そうだ、俺の名は――ミハイロ・アントーノフ、苗字はロマーシ。そうだ」 こうして二日後には、クラスノヴィードヴォに向ってやっと解氷したばかりのヴォルガを下った。桶や袋や箱を重く積込んだ渡船は帆をかけ、舵手席に、平静で、冷やかな眼をしたパ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫