・・・ 配達夫の立ち去った後で、お光はようやく店に出て、框際の端書を拾って茶の間へ帰ったが、見ると自分の名宛で、差出人はかのお仙ちゃんなるその娘の母親。文言は例のお話の縁談について、明日ちょっとお伺いしたいが、お差支えはないかとの問合せで、配・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ そんなある日、一代の名宛で速達の葉書が来た。看護婦が銭湯へ行った留守中で、寺田が受け取って見ると「明日午前十一時、淀競馬場一等館入口、去年と同じ場所で待っている。来い。」と簡単な走り書きで、差出人の名はなかった。葉書一杯の筆太の字は男・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・そして名宛の左側の、親展とか侍曹とか至急とか書くべきところに、閑事という二字が記されてあった。閑事と表記してあるのは、急を要する用事でも何んでも無いから、忙がしくなかったら披いて読め、他に心の惹かれる事でもあったら後廻しにしてよい、という注・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・事務所の粗末な郵便棚を、私共は一月に三四度見にくるのだが、先週もその前の週にもあった男名宛のハガキなどが今日迄も受けとられず、ざらついた棚の底にくっついているのを見ると、一種の心持を感じる。この水田達吉とたどたどしげな横文字で書かれた男はど・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・ 一枚の葉書に二人の名宛を書いた。 万年筆の少し震えた字を見なおそうともしないで、東京でこの葉書をうけ取った二人の顔を想像して居た。 あんな人達に送られて仰山ぶって二十日ぼっちつい鼻の先へ出かけるものがあるもんか。 ・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
出典:青空文庫