・・・もちろん若いころには免れ難い卑近な名誉心や功名心も多分に随伴していたことに疑いはないが、そのほかに全く純粋な「創作の歓喜」が生理的にはあまり強くもないからだを緊張させていたように思われる。全くそのころの自分にとっては科学の研究は一つの創作の・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・一旦木村博士を賞揚するならば、木村博士の功績に応じて、他の学者もまた適当の名誉を荷うのが正当であるのに、他の学者は木村博士の表彰前と同じ暗黒な平面に取り残されて、ただ一の木村博士のみが、今日まで学者間に維持せられた比較的位地を飛び離れて、衆・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
・・・暗鬱な北国地方の、貧しい農家に生れて、教育もなく、奴隷のような環境に育った男は、軍隊において、彼の最大の名誉と自尊心とを培養された。軍律を厳守することでも、新兵を苛めることでも、田舎に帰って威張ることでも、すべてにおいて、原田重吉は模範的軍・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・『……名誉も義務も軍人なればこそよ。軍人なきゃ何でもない。私の兄さんなんか、国の為に死ななきゃならない義理は無いわ、ほほ、死ぬのが名誉だッて。』 其方の声がぴたと止まったら、何なすったかと思って見ると、彼の可厭な学生が其の顔を凝乎と・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・謹んで筆鋒を寛にして苛酷の文字を用いず、以てその人の名誉を保護するのみか、実際においてもその智謀忠勇の功名をば飽くまでも認る者なれども、凡そ人生の行路に富貴を取れば功名を失い、功名を全うせんとするときは富貴を棄てざるべからざるの場合あり。二・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・即ち大名誉心さ。……文壇の覇権手に唾して取るべしなぞと意気込んでね……いやはや、陋態を極めて居たんだ。 その中に、人生問題に就て大苦悶に陥った事がある。それは例の「正直」が段々崩されてゆくから起ったので先ず小説を書くことで「正直」が崩さ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・この俳句はその創業の功より得たる名誉を加えて無上の賞讃を博したれども、余より見ればその賞讃は俳句の価値に対して過分の賞讃たるを認めざるを得ず。誦するにも堪えぬ芭蕉の俳句を註釈して勿体つける俳人あれば、縁もゆかりもなき句を刻して芭蕉塚と称えこ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・軍人が名誉ある勲章を食ってしまうという前例はない。」曹長「食ったらどうなるのでありますか。」特務曹長「軍法会議だ。それから銃殺にきまっている。」間、兵卒一同再び倒る。曹長(面「上官。私は決心いたしました。この饑餓陣営の中に於きま・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・に関係があるかもしれぬという名誉の猜疑心を誘発させたところの鞣外套をひっかけてとび出してしまった。 後から、駅の待合室へ行って見たが、そんな名物の売店なし。又電燈でぼんやり照らされている野天のプラットフォームへ出て、通りかかった国家保安・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・真の名誉というものは、神を信じて、世の中に働くことにあるので、真の安全も満足もこの外に得られるものでないと、つねづね仰ったことを、御遺言として、記憶しておいで」と、心を一杯籠めて仰ったのを、訳はよく分らないでも、忘れる処か、今そこでうかがっ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫