・・・或る秋の午後、ひっそりとした向島の家の縁側の柱に縮緬の衣類の裾をひいた祖母がふところでをしてもたれかかっている。その片方の素足を、源三という執事が袴羽織で庭石にうずくまって拭いてやっている。島田に紫と白のむら濃の房のついた飾をつけ、黄八丈の・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 母の父、私たちにとって西村のおじいさんになる人は、明治三十五年ごろに没していて、向島の生家には、祖母と一彰さんと龍ちゃんという男の子がいた。 風呂場のわきにかなり大きい池があって、その水の面は青みどろで覆われ、土蔵に錦絵があったり・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・その洋画や飾棚が、向島へ引移る時、永井と云う悪執事にちょろまかされたが、その永井も数年後、何者かに浅草で殺された事など、まさ子は悠り、楽しそうに語った。向島時代は、なほ子も聞いた話が多かった。それから、昌太郎が外国へ行った前後の話。――母の・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・ 向島の芸者 ○ちりめんに黒い帯をしめ、かりた庭下駄の、肉感的極る浅草辺の女優と男二人の組。 ○カマクラの海浜ホテルで見た、シャンパンをぬいた I love you が、又あの水浅黄格子木綿服の女と、他に子供づれ・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・母が向島の祖母と子供のことについて激しい感情を持ったのもよくわかる。 十二月九日 Jane Eyre をよみつつ。 大瀧のひろ子、基、倉知の子のことを思いあわれになり、国男、スエ子、英男、自分が母を生みの母を持つ・・・ 宮本百合子 「一九二三年冬」
向島の堤をおりた黒い門の家に母方の祖母が棲んでいて、小さい頃泊りに行くと、先ず第一に御仏壇にお辞儀をさせられた。それから百花園へ行ったり牛御前へ行ったりするのだが、時には祖母が、気をつけるんだよ、段々をよく見て、と云って二・・・ 宮本百合子 「祖父の書斎」
・・・しかし葭江と呼ばれた総領娘である母の娘盛りの頃は、その父が官吏として相当な地位にいたために、おやつには焼きいもをたべながら、華族女学校へは向島から俥で通わせられるという風な生活であった。嫁いで来た中條も貧乏な米沢の士族で、ここは大姑、舅姑、・・・ 宮本百合子 「母」
・・・それに対して一葉は憤慨しています。向島のお茶の席のような所に歌の会があって、きれいな着物を着て行った。――その頃はいまと違ってそういう所へ行くには三枚重ねの縮緬の着物を着て振袖で車を並べて行ったもので、一葉も借着をして行く。やっと体裁を繕っ・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・ 私が七つか八つの時分、金柑が大好きで、その頃向島に居た祖母のところへ宿りに行くときっと浅草につれて行ってもらって、金柑の糸の袋に入ったのを買ってもらった。 狭い帯を矢の字にして、赤い手袋をした小さい手に金柑の袋を下げて満足して居た・・・ 宮本百合子 「南風」
・・・この永機は明治初年の頃に向島の三囲社内の其角堂に住み、後芝円山辺に家を移して没した。没した日は明治三十七年一月十日で、行年八十二歳であった。寺は其角と同じく二本榎上行寺である。」文淵堂の言に従えば、わたくしの記事には誤がなかったらしい。猶考・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫