・・・先生にそうお願いして、と言いますから……家へ帰らして下さい、と云うんです。含羞む児だから、小さな声して。 風はこれだ。 聞えないで僥倖。ちょっとでも生徒の耳に入ろうものなら、壁を打抜く騒動だろう。 もうな、火事と、聞くと頭から、・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・で、知りませんと、鼻をつまらせ加減に、含羞んで、つい、と退くが、そのままでは夜這星の方へ来にくくなって、どこへか隠れる。ついお銚子が遅くなって、巻煙草の吸殻ばかりが堆い。 何となく、ために気がとがめて、というのが、会が月の末に当るので、・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・お鉄は元気好く含羞むお雪を柔かに素直に寝かして、袖を叩き、裾を圧え、「さあ、お客様。」 と言ったのでありまするが、小宮山も人目のある前で枕を並べるのは、気が差して跋も悪うございますから、「まあまあお前さん方。」「さようならば・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・蜂谷はその初々しく含羞んだような若者をおげんの前まで連れて来た。「小山さん、これが私のところへ手伝に来てくれた人です」 と蜂谷に言われて、おげんは一寸会釈したが、田舎医者の代診には過ぎたほど眼付のすずしい若者が彼女の眼に映った。・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・案ずるに、かれはこの数行の文章をかれ自身の履歴書の下書として書きはじめ、一、二行を書いているうちに、はや、かれの生涯の悪癖、含羞の火煙が、浅間山のそれのように突如、天をも焦がさむ勢にて噴出し、ために、「なあんてね」の韜晦の一語がひょいと顔を・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・人は私の含羞多きむかしの姿をなつかしむ。けれども、君のその嘆声は、いつわりである。一得一失こそ、ものの成長に追随するさだめではなかったか。永い眼で、ものを見る習性をこそ体得しよう。甲斐なく立たむ名こそ惜しけれ。なんじら断食するとき、かの偽善・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ B 尾上てるは、含羞むような笑顔と、しなやかな四肢とを持った気性のつよい娘であった。浅草の或る町の三味線職の長女として生れた。かなりの店であったが、てるが十三の時、父は大酒のために指がふるえて仕事がうまく出来・・・ 太宰治 「古典風」
・・・ 夕焼も、生れながらに醜い、含羞の笑を以てこの世に現われたのではなかった。まるまる太って無邪気に気負い、おのれ意慾すれば万事かならず成ると、のんのん燃えて天駈けた素晴らしい時刻も在ったのだ。いまは、弱者。もともと劣勢の生れでは無かった。・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・家郷追放、吹雪ノ中、妻ト子トワレ、三人ヒシト抱キ合イ、行ク手サダマラズ、ヨロヨロ彷徨、衆人蔑視ノ的タル、誠実、小心、含羞ノ徒、オノレノ百ノ美シサ、一モ言イ得ズ、高円寺ウロウロ、コーヒー飲ンデ明日知レヌ命見ツメ、溜息、他ニ手段ナキ、コレラ一万・・・ 太宰治 「創生記」
・・・ゆっくり真紅含羞の顔をあげて、私の、ずるい、平気な笑顔を見つけて、小娘のような無染の溜息、それでも、「むずかしいのねえ、ありがとう。」とかしこい一言、小声でいうのを忘れなかった。そうして、わかれた。一万五千円の学費つかって、学問して、そうし・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
出典:青空文庫