・・・溝石の上に腰を落して、打坐りそうに蹲みながら、銜えた煙管の吸口が、カチカチと歯に当って、歪みなりの帽子がふらふらとなる。…… 夜は更けたが、寒さに震えるのではない、骨まで、ぐなぐなに酔っているので、ともすると倒りそうになるのを、路傍の電・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・と咳をする下から、煙草を填めて、吸口をト頬へ当てて、「酷い風だな。」「はい、屋根も憂慮われまする……この二三年と申しとうござりまするが、どうでござりましょうぞ。五月も半ば、と申すに、北風のこう烈しい事は、十年以来にも、ついぞ覚えませ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・冷かし数の子の数には漏れず、格子から降るという長い煙草に縁のある、煙草の脂留、新発明螺旋仕懸ニッケル製の、巻莨の吸口を売る、気軽な人物。 自から称して技師と云う。 で、衆を立たせて、使用法を弁ずる時は、こんな軽々しい態度のものではな・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・「金の吸口で、烏金で張った煙管で、ちょっと歯を染めなさったように見えます。懐紙をな、眉にあてて私を、おも長に御覧なすって、 ――似合いますか。――」「むむ、む。」と言う境の声は、氷を頬張ったように咽喉に支えた。「畳のへりが、・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・煙草が好きで、いつでも煙管の羅宇の破れたのに紙を巻いてジウジウ吸っていたが、いよいよ烟脂が溜って吸口まで滲み出して来ると、締めてるメレンスの帯を引裂いて掃除するのが癖で、段々引裂かれて半分近くまでも斜に削掛のように総が下ってる帯を平気で締め・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・おげんは娘から勧められた煙管の吸口を軽く噛み支えて、さもうまそうにそれを燻した。子の愛に溺れ浸っているこの親しい感覚は自然とおげんの胸に亡くなった旦那のことをも喚び起した。妻として尊敬された無事な月日よりも、苦い嫉妬を味わせられた切ない月日・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・次には同じようにして吸口の方を嵌め込み叩き込むのであるが、これを太鼓のばちのように振り廻す手付きがなかなか面白い見物であった。またそのきゅんきゅんと叩く音が河向いの塀に反響したような気がするくらい鮮明な印象が残っている。そうして河畔に茂った・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・大石段は目的のない人間のいろんな姿態で一杯に重くされ、丹念に暇にあかして薄い紙と厚い紙とがはなればなれになるまで踏みにじられた煙草の吸口などが落ちていた。ボソボソ水気なしでパンをかじった。鳩が飛んで来てこぼれを探し、無いので後から来た別な鳩・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫