・・・おまけに、相手が寿子の演奏会やレコード吹き込みの話を持ち出すと、庄之助は自分から演奏料の金額を言い出して、「鐚一文かけても御免蒙りましょう」 と、一歩も譲らなかった。 それは、一少女の演奏料としては、相手を呆れさせる、というより・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・ 貴嬢がわずかに頭をあげて、いなとかの君の問いに答えたまいたる、その声は墓のかなたより亡者や吹き込みし。 よき物まいらせんとてかの君手さげの内を探りたまいしが、こはいかに宝丹を入れ置きぬと覚えしにと当惑のさまを、貴嬢は見たまいて、い・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・屋台の裏にも山桜の大木三本有之、微風吹き来る度毎に、おびただしく花びらこぼれ飛び散り、落花繽紛として屋台の内部にまで吹き込み、意気さかんの弓術修行者は酔わじと欲するもかなわぬ風情、御賢察のほど願上候。然るに、ここに突如として、いまわしき邪魔・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・しかるに偶然窓より強き風が吹き込みて球が横に外れたりとせよ。俗人の眼より見ればこの予言は外れたりと云う外なかるべし。しかし学者は初め不言裡に「かくのごとき風なき時は」という前提をなしいたるなり。この前提が実用上無謀ならざる事は数回同じ実験を・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・いよいよ蝋管に声を吹き込む段となって、文学士は吹き込みラッパをその美髯の間に見える紅いくちびるに押し当てて器械の制動機をゆるめた。そうして驚くような大きな声で「ターカイヤーマーカーラアヽ」と歌いだした。 私はその瞬間に経験した不思議な感・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・汽車の中はもう半分以上も空いてしまい俄かにがらんとしてさびしくなり風がいっぱいに吹き込みました。 そして見ているとみんなはつつましく列を組んであの十字架の前の天の川のなぎさにひざまずいていました。そしてその見えない天の川の水をわたってひ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・そして交る交るふっふっと息をそこへ吹き込みました。 お日様が丁度空のまん中においでになった頃蠍はかすかに目を開きました。 ポウセ童子が汗をふきながら申しました。「どうですか気分は。」 蠍がゆるく呟きました。「大烏めは死に・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
出典:青空文庫