・・・そういう点になると、われながら呆れるくらい物ぐさである。 例えば冠婚葬祭の義理は平気で欠かしてしまう。身内の者が危篤だという電報が来ても、仕事が終らぬうちは、腰を上げようとしない。極端だと人は思うかも知れないが、細君が死んだその葬式の日・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・……赤んぼがほしいが聞いて呆れら、自分の餓鬼ひとりだって傍に置いたこともないくせに……」「………」自分の拳固が彼女の頬桁に飛んだ。…… ほとんど一カ月ぶりで、二時過ぎに起きて、二三町離れたお湯へ入りに行った。新聞にも上野の彼岸桜・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・芳本も呆れ顔して口を出した。「さようのようです。雅邦さんの物も、これは弟子の人たちの描いたものでもないようですね。○○派の人たちの仕事でしょう。玉章さんの物なんか、ひところは私たちの知ってる数だけでも日に何十本という偽物が、商人の手で地・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・、巡査は呆れし様なり。「さなり」、嗄れし声にて答う。「夜更けて何者をか捜す」「紀州を見たまわざりしか」「紀州に何の用ありてか」「今夜はあまりに寒ければ家に伴わんと思いはべり」「されど彼の寝床は犬も知らざるべし、みずか・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ お源は亭主のこの所為に気を呑れて黙って見ていたが山盛五六杯食って、未だ止めそうもないので呆れもし、可笑くもなり「お前さんそんなにお腹が空いたの」 磯は更に一椀盛けながら「俺は今日半食を食わないのだ」「どうして」「今日彼・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・湯をと乞うに、主人の妻、少時待ちたまえ、今沸かしてまいらすべしとて真黒なる鉄瓶に水を汲み入るれば、心長き事かなと呆れて打まもるに、そを火の上に懸るとひとしく、主人吹革もて烈しく炭火を煽り、忽地にして熱き茶をすすめくれたる、時に取りておかしく・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・おげんは意外な結果に呆れて、皆なの居るところへ急いで行って見た。そこには母親に取縋って泣顔を埋めているおさだを見た。「ナニ、何でもないぞや。俺の手が少し狂ったかも知れんが、おさださんに火傷をさせるつもりでしたことでは無いで」 とおげ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・思い掛けない事なので、呆れて目をいて、丁度電にでも撃たれたように、両腕を物を防ぐような形に高く上げて一歩引き下がった。そして口から怪しげな、笑うような音を洩らして、同じ群の外の男等を見廻した。「今聞いた詞は笑談ではなかったか知らん。」 ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・お前たちの来るところではない、とは出かした。呆れてものが言えねえや。他の事とは違う。よその家の金を、あんた、冗談にも程度がありますよ。いままでだって、私たち夫婦は、あんたのために、どれだけ苦労をさせられて来たか、わからねえのだ。それなのに、・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・大湯の近くまで来てみてやっと追憶の温泉町を発見したが、あまりに甚だしい変り方に呆れて何となく落着く気になれなかったので、そのまま次の汽車で引返して帰って来た。 今日は朝の九時半頃家を出て箱根で昼飯を食って二時には熱海へ来た。そうして熱海・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
出典:青空文庫