・・・十月頃の晴れた空の下に一望尽る処なき瓦屋根の海を見れば、やたらに突立っている電柱の丸太の浅間しさに呆れながら、とにかく東京は大きな都会であるという事を感じ得るのである。 人家の屋根の上をば山手線の電車が通る。それを越して霞ヶ関、日比谷、・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・和蘭語でも何でも自由に読むといって呆れたような顔をして余に語った。述作の際非常に頭を使う結果として、しまいには天を仰いで昏倒多時にわたる事があるので、奥さんが大変心配したという話も聞いた。そればかりではない、先生は単にこの著作を完成するため・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・と、お梅の声は呆れていた。 四「どうしたんだ」と、西宮は事ありそうに入ッて来たお梅を見上げた。「善さんですよ。善さんが覗いていなすッたんですよ」と、お梅は眼を丸くして、今顔を上げた吉里を見た。「おえない妬漢だ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・今日は余り大胆な事をいたすことになりましたので、わたくしは自分で自分に呆れています。さて、当り前なら手紙の初めには、相手の方を呼び掛けるのですが、わたくしにはあなたの事を、どう申上げてよろしいか分かりません。「オオビュルナン様」では余りよそ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・おまえは三銭二厘しかないのか。呆れたやつだ。さあどうするんだ。警察へ届けるよ。」「許して下さい。許して下さい。」「いいや、いかん。さあ払え。」「ないんですよ。許して下さい。そのかわりあなたのけらいになりますから。」「そうか。・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・原稿をあけてみて、わたしはおこるより先に呆れ、やがて笑い出した。原稿には、実によく赤鉛筆がはいっていて、それは各頁、各行だった。赤鉛筆のとぎれているところをひろって読めば、そのところは、ただ「そうしているうちに」とか「であるはずなのに」とい・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・ と、無意味に繰り返して、佐藤は呆れたような顔をしている。 花房は聴診器を佐藤の手に渡した。「ちょっと聴いて見給え。胎児の心音が好く聞える。手の脈と一致している母体の心音よりは度数が早いからね。」 佐藤は黙って聴診してしまっ・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・(男の呆れて立ち竦 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
・・・ フィンクは驚き呆れた風で、間を悪げに黙った。そして暗い所を透かして見たが、なんにも見えなかった。空気はむっとするようで、濃くなっているような心持がする。誰がなんの夢を見るのか、われ知らずうめく声が聞える。外では鐸の音がの鳴くように聞え・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・そうしてその三色版じみた模倣に呆れたのである。しかし近よって子細に検すると、麦のくきや穂や葉などの、乾いてポキポキとした感じが、日本絵の具でなければ現わせない一種の確かさをもって描かれていた。黄いろい乾いた光沢なども、カンバスの上に油をもっ・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫