・・・例えば下宿のおかみさんなどが、呼鈴や、その電池などの故障があったとき少しの故障なら、たいてい自分で直すのであった。当時はもちろん現在の日本でも、そういう下宿のお神さんはたぶん比較的に少ないであろうと思われる。室内電燈のスウィッチの、ちょっと・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・ 向こう側の三人の爆笑とそれに続く沈静との週期的交代の観察に気を取られて、しばらく前方の老人の事を忘れていたが、突然、実に突然にその老人が卓上の呼び鈴をやけくそにたたきつけるけたたましい音に驚かされてそのほうに注意をよびもどされた。・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・昼頃近くになっても霜柱の消えないような玄関の前に立って呼鈴を鳴らしてもなかなかすぐには反応がなくて立往生をしていると、凜冽たる朔風は門内の凍てた鋪石の面を吹いて安物の外套を穿つのである。やっと通されると応接間というのがまた大概きまって家中で・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・しかし国産の時計や呼び鈴などのすぐ悪くなるのは全く始末が悪く日本の名誉のために情けなくなる。 年を取るとやはり杖が役に立つ。毎日あがる階段で杖の役に立つ程度によってその日のからだのぐあいのよしあしがわかる。健康のバロメーターになる。字・・・ 寺田寅彦 「ステッキ」
・・・ 第一に思い出したのが呼び鈴の事であった。今の住居に移った際に近所の電気屋さんに頼んで、玄関や客間の呼び鈴を取り付けてもらった。ところが、それがどうも故障が多くて鳴らぬ勝ちである。電池が悪いかと思って取り換えてもすぐいけなくなる。よく調・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
・・・平日でも自分の室の前はめったに人の通らないところである。呼鈴を押しに立つ事は到底出来ないから浅利君が帰るまで待っている外にはどうする事も出来ないのであった。ガランとした室の天井を見るのが心細かった。ふるえる手で当もなく手掛りのない扉の面を撫・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・ 彼の宅の呼び鈴の配線に故障があって、その修理を近所の電気屋に頼んであったのがなかなか来てくれなかった。あとで聞いてみると、早慶戦のためにラジオの修繕が忙しくて、それで来られなかったと言うのである。 野球戦の入場券一枚を手に入れるた・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・彼らはたとえば、呼び鈴の押しボタンの上に「呼び鈴」とはり札をし、便所の箒には「便所の箒」と書かなければどうも安心のできない国民なのである。そのおかげでドイツの精密工業は発達し、分析的にひどく込み入っためんどうな哲学が栄える。本来快楽を目的と・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 下で呼鈴を鳴す音がしたので、わたくしは椅子を立ち、バスへ乗る近道をききながら下へ降りた。 外へ出ると、人の往来は漸く稠くなり、チョイトチョイトの呼声も反響するように、路地の四方から聞えて来る。安全通路と高く掲げた灯の下に、人だかり・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・飯を食いながら呼鈴を押して宿の神さんを呼んだ。「とうとうあなたの方へ行く事にしましたよ。一週三十三円の下宿料なんかとうてい我輩には払えんから君の方へ行きましょうよ」「はあそうですか、どうもありがとう、なるべく気をつけますからどうぞさよう願い・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
出典:青空文庫