・・・そう思うと、いくら都踊りや保津川下りに未練があっても、便々と東山を眺めて、日を暮しているのは、気が咎める。本間さんはとうとう思い切って、雨が降るのに荷拵えが出来ると、俵屋の玄関から俥を駆って、制服制帽の甲斐甲斐しい姿を、七条の停車場へ運ばせ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・おれは気の毒に思うたから、女は咎めるにも及ぶまいと、使の基安に頼んでやった。が、基安は取り合いもせぬ。あの男は勿論役目のほかは、何一つ知らぬ木偶の坊じゃ。おれもあの男は咎めずとも好い。ただ罪の深いのは少将じゃ。――」 俊寛様は御腹立たし・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・それともあの建札を建てたばかりに、こんな騒ぎが始まったと思うと、何となく気が咎めるので、知らず知らずほんとうに竜が昇ってくれれば好いと念じ出したのでございましょうか。その辺の事情はともかくも、あの高札の文句を書いたものは自分だと重々承知しな・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・本人も語らず、またかかる善根功徳、人が咎めるどころの沙汰ではない、もとより起居に念仏を唱える者さえある、船で題目を念ずるに仔細は無かろう。 されば今宵も例に依って、船の舳を乗返した。 腰を捻って、艪柄を取って、一ツおすと、岸を放れ、・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ いや、こうも、他愛のない事を考えるのも、思出すのも、小北の許へ行くにつけて、人は知らず、自分で気が咎める己が心を、我とさあらぬ方へ紛らそうとしたのであった。 さて、この辻から、以前織次の家のあった、某……町の方へ、大手筋を真直に折・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・いやたとえ一晩でも宿めて貰って、腹の中とは云え悪くいうは気が咎める、もうつまらん事は考えぬ事と戸を締めた。 洋燈を片寄せようとして、不図床を見ると紙本半切の水墨山水、高久靄で無論真筆紛れない。夜目ながら墨色深潤大いに気に入った。此気分の・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ところが検査場では誰も私の頭髪を咎める者はなかった。ただ身長を計る時、髪の毛が邪魔になるので検査官が顔をしかめただけであった。 身体検査が済んで最後に徴兵官の前へ行くと、徴兵官は私が学校をやめた理由をきいた。病気したからだと私は答えたが・・・ 織田作之助 「髪」
・・・笹川はこう、彼のいわゆる作家風々主義から、咎めるような口調で言った。 彼のいわゆる作家風々主義というのは、つまり作家なんてものは、どこまでも風々来々的の性質のもので、すべての世間的な名利とか名声とかいうものから超越していなければならぬと・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・二人で行ったとて誰が咎めるものかと思う。「だってあんまりですから」と、ややあって言う。「何が」「でもたった今これを始めたばかりですから」「ついでに仕上げてしまいたいのですか」「いいえ、そうじゃないのですけど、何だか小母さ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・証拠物件に蝋管蓄音機が持出されたのに対して検事が違法だと咎めると、弁護士がすぐ「前例」を持出すのや、裁判長のロードの少々勘の悪いところなどが如何にもイギリスらしくて、いつものアメリカの裁判所の場面と変った空気を出しているようである。 ど・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
出典:青空文庫