・・・そこには、いく種類かの愛と憎しみと混乱、哀愁と憐憫がある。そのどれもは、伸子の存在にかかわらず、それとしての必然に立って発生し、葛藤し、社会そのものの状態として伸子にかかわって来ている。伸子は伸子なりに渦巻くそれらの現実に対し、あながち一身・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・ その時間からは、「女人哀愁」というのとニュースとが見られるわけである。私は特別にその映画を目ざして行ったのではなかったが、観てもいいという心持で、列の最後の方にまわって傘をさしたまま往来に立っていた。「ちょいと、まだ大丈夫よ! ホ・・・ 宮本百合子 「映画」
・・・佐和子も同じように挨拶をし、一番後から訴えどころない生活の過ぎ行く哀愁を感じつつ坂路を登って行った。 宮本百合子 「海浜一日」
・・・ただ、寂寥々とした哀愁が、人生というもの、生涯というものを、未だ年に於て若く、仕事に於て未完成である自分の前途にぼんやりと照し出したのです。 けれども、その某博士が逝去されたという文字を見た瞬間、自分の胸を打ったものは、真個のショックで・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・一人が低い声で仕事とリズムを合わせて唄い出すと、やがて一人それに加わり、また一人加わり、終には甲高な声をあげ、若い女工まで、このストトン、ストトンという節に一種センチメンタルな哀愁さえ含ませて一同合唱する。 何とかして通やせぬストトン、・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・の前半に語られているように、「評論を書いていると、論理の容赦なき発展が、逆に私自身に何か哀愁をさえ感じさせる」という感じやすさがつよく現れている。評論における「現実認識の直接性が、自己の生身の存在に対して上位にあるかの如き意識を絶えず感じさ・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
・・・又、今日は哀愁の満ちたベルレーヌの詩をよみルドン、マチス、クリムトの絵を見る。実に近代の心、思いが犇々と胸に来る。哀訴や、敏感や、細胞の憂愁は全く都会人、文明人の特質で古代の知らない病であると云うかもしれない。・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
・・・彼の哀愁にみち、生きる目的を見失った、旧きロシアの魂のメロディーをくつがえす詩は、一部の人にもてはやされた。そしてある種の外国人はソヴェト文学はファデーエフやショーロホフによって代表されるという概括に反対して、いや、今でもエセーニンの人気は・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・「ここへ来る人間は、みなあの部屋へ這入りたいのだろうが、今夜のあの灯の下には哀愁があるね。前にはソビエットが見ているし。」「僕は、本当は小説を書いてみたいんですよ。帝大新聞に一つ出したことがあるんですが、相対性原理を叩いてみた小説で・・・ 横光利一 「微笑」
・・・すなわち牧歌的とも名づくべき、子守歌を聞く小児の心のような、憧憬と哀愁とに充ちた、清らかな情趣である。氏はそれを半ばぼかした屋根や廂にも、麦をふるう人物の囲りの微妙な光線にも、前景のしおらしい草花にも、もしくは庭や垣根や重なった屋根などの全・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫