・・・ 次第であるから、朝は朝飯から、ふっふっと吹いて啜るような豆腐の汁も気に入った。 一昨日の旅館の朝はどうだろう。……溝の上澄みのような冷たい汁に、おん羮ほどに蜆が泳いで、生煮えの臭さといったらなかった。…… 山も、空も氷を透すご・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・髯が啜る甘酒に、歌の心は見えないが、白い手にむく柿の皮は、染めたささ蟹の糸である。 みな立つ湯気につつまれて、布子も浴衣の色に見えた。 人の出入り一盛り。仕出しの提灯二つ三つ。紅いは、おでん、白いは、蕎麦。横路地を衝と出て、やや門と・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・何気なくふと暖簾の向うを通る女の足を見たりしているが、汁が来ると、顔を突っ込むようにしてわき眼もふらずに真剣に啜るのである。 喫茶店や料理店の軽薄なハイカラさとちがうこのようなしみじみとした、落着いた、ややこしい情緒をみると、私は現代の・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ かくてくず湯も成りければ、啜る啜るさまざまの物語する序に、氷雨塚というもののこのあたりにあるべきはずなるが知らずやと問えば、そのいわれはよくも知らねど塚は我が家のすぐ横にあり、それその竹の一ト簇しげれるが、尋ねたまうものなりと指さし示・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・と涙を啜る。 自分は深い谷底へ一人取残されたような心持がする。藤さんはにわかに荷物を纒めて帰って行ったというのである。その伯父さんというのはだいぶ年の入った、鼻の先に痘痕がちょぼちょぼある人だという。小母さんも初やもいっしょに隣村の埠頭・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
どうも、みんな、佳い言葉を使い過ぎます。美辞を姦するおもむきがあります。鴎外がうまい事を言っています。「酒を傾けて酵母を啜るに至るべからず。」 故に曰く、私には好きな言葉は無い。・・・ 太宰治 「わが愛好する言葉」
・・・一座の大衆はフラーと叫んで血の如き酒を啜る。ウィリアムもフラーと叫んで血の如き酒を啜る。シワルドもフラーと叫んで血の如き酒を啜りながら尻目にウィリアムを見る。ウィリアムは独り立って吾室に帰りて、人の入らぬ様に内側から締りをした。 盾だ愈・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・朝起きて啜る渋茶に立つ煙りの寝足らぬ夢の尾を曳くように感ぜらるる。しばらくすると向う岸から長い手を出して余を引張るかと怪しまれて来た。今まで佇立して身動きもしなかった余は急に川を渡って塔に行きたくなった。長い手はなおなお強く余を引く。余はた・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・代物である通り、ブルジョア世界観によって偽善的に、甘ったるく装われ、その実は血を啜る残虐の行われている「子供の無邪気さ、純真さ」の観念に対してこそ、プロレタリアートは「知慧の始り」である憎悪をうちつけるのではなかろうか。実際の場合に、人道主・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・九郎右衛門は自分の貰った銭で、三人が一口ずつでも粥を啜るようにしていた。四月の初に二人が本復すると、こん度は九郎右衛門が寝た。体は巌畳でも、年を取っているので、容体が二人より悪い。人の好い医者を頼んで見て貰うと、傷寒だと云った。それは熱が高・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫