・・・諸君は赤らんだ麦藁帽のように旧時代を捨てなければなりません。善悪は好悪を超越しない、好悪は即ち善悪である、愛憎は即ち善悪である、――これは『半肯定論法』に限らず、苟くも批評学に志した諸君の忘れてはならぬ法則であります。「扨『半肯定論法』・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・「いや、善悪と云うよりも何かもっと反対なものが、……」「じゃ大人の中に子供もあるのだろう」「そうでもない。僕にははっきりと言えないけれど、……電気の両極に似ているのかな。何しろ反対なものを一しょに持っている」 そこへ僕等を驚・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・この活動の都府の道路は人もいうごとく日本一の悪道路である。善悪にかかわらず日本一と名のつくのが、すでに男らしいことではないか。かつ他日この悪道路が改善せられて市街が整頓するとともに、他の不必要な整頓――階級とか習慣とかいう死法則まで整頓する・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・……いやしくも温泉場において、お客を預る自動車屋ともあるものが、道路の交通、是非善悪を知らんというのは、まことにもって不心得。」……と、少々芝居がかりになる時、記者は、その店で煙草を買った。 砂を挙げて南条に引返し、狩野川を横切った。古・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・是非善悪は、さて置いて、それは今、私に決心が着きかねます。卑怯に回避するのではありません。私は自分の仕事が忙しい。いま分別をしている余裕が、――人間の小さいために、お恥かしいが出来ないのです。しかし一月、半月、しばらくお待ち下さるなら、その・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・説明や、解釈の仕方でものゝ善悪がいろ/\に変る筈がないからだ。よりいゝということはより真実であるということで、より価値あるということは、より人間生活を営むに為めになるということに過ぎないからです。 正直と善良とがあれば、物静かな村の生活・・・ 小川未明 「草木の暗示から」
・・・信念の在るところ、容易にその善悪を定めにくい場合が多い。優れた芸術家は常に人生の両面を観ているのみならず、いつも敬虔の心と固い信念とを以て作を続けている。そうして其等の人たちは現実には楽しみもあれば苦しみもあり、またヨリ多くの苦痛のあること・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・が、六十八歳の坂田が実験した端の歩突きは、善悪はべつとして、将棋の可能性の追究としては、最も飛躍していた。ところが、顧みて日本の文壇を考えると、今なお無気力なオルソドックスが最高権威を持っていて、老大家は旧式の定跡から一歩も出ず、新人もまた・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・自分もチョークで画くなど思いもつかんことであるから、画の善悪はともかく、先ずこの一事で自分は驚いてしまった。その上ならず、馬の頭と髭髯面を被う堂々たるコロンブスの肖像とは、一見まるで比べ者にならんのである。かつ鉛筆の色はどんなに巧みに書いて・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ 殊に自分は児童の教員、又た倫理を受持っているので常に忠孝仁義を説かねばならず、善悪邪正を説かねばならず、言行一致が大切じゃと真面目な顔で説かねばならず、その度毎に怪しく心が騒ぐ。生徒の質問の中で、折り折り胸を刺れるようなのがある。中に・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫