・・・人生の事象をよろず善悪のひろがりから眺める態度、これこそ人格という語をかたちづくる中核的意味でなければならぬ。私はいかなる卓越した才能あり、功業をとげたる人物であっても、彼がもしこの態度において情熱を持っていないならば決して尊敬の念を持ち得・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・そして恋愛と結婚との真実の根拠はこの運命的な恋愛のみの上にあるのであって、その他は善悪とも付加条件にすぎないのである。この相手の女性は美しいから、善いから、好都合だから私の妻なのではない。二人の恋愛の中に運命を見たから、二人は夫婦なのだ。・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・そも損得を云おうなら、善悪邪正定まらぬ今の世、人の臣となるは損の又損、大だわけ無器量でも人の主となるが得、次いでは世を棄てて坊主になる了休如きが大の得。貴殿やそれがし如きは損得に眼などが開いて居らぬ者。其損得に掛けて武士道――忠義をごったに・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・死に面しては、貴賎・貧富も、善悪・邪正も、知恵・賢不肖も、平等一如である。なにものの知恵も、のがれえぬ。なにものの威力も、抗することはできぬ。もしどうにかしてそれをのがれよう、それに抗しようと、くわだてる者があれば、それは、ひっきょう痴愚の・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 否な、人間の死は科学の理論を俟つまでもなく、実に平凡なる事実、時々刻々の眼前の事実、何人も争う可らざる事実ではない歟、死の来るのは一個の例外を許さない、死に面しては貴賎・貧富も善悪・邪正も知愚・賢不肖も平等一如である、何者の知恵も遁が・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・無論実行の瞬間はそんなことを思うと限るものでないから、ただ伝襲の善悪観念でやっていることが多い。けれどもそれは盲目の道徳、醒めない道徳たるに過ぎぬ。開眼して見れば、顔を出して来るものは神でも仏でもなくして自己である。だから自己がすなわち神で・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ 六、善悪につき他を妬まず。 七、何の道にも別を悲まず。 八、自他ともに恨みかこつ心なし。 九、恋慕の思なし。 十、物事に数奇好みなし。十一、居宅に望なし。十二、身一つに美食を好まず。十三、旧き道具を所持せず・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・ おくさん。善悪の彼岸という言葉がありますね。善と悪との向う岸です。倫理には、正しい事と正しくない事と、それからもう一つ何かあるんじゃないでしょうかね。おくさんのように、ただもう、物事を正、不正と二つにわけようとしても、わけ切れるもので・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・その結果の善悪にかかわらず実に恐るべきことだと思われるのであった。 新宿辺で灯がつき始めたが、駒込へ帰るまで空は明るかった。夕空の下に電燈の灯った東京の見馴れた街が、どうしたのかこの時に限って実に世にも美しい、いつもとは別な街のように見・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・「十夜の半弓」「善悪ふたつの取物」「人の刃物を出しおくれ」などにも同じような筆法が見られる。 また一方で、彼の探偵物には人間の心理の鋭い洞察によって事件の真相を見抜く例も沢山ある。例えば毒殺の嫌疑を受けた十六人の女中が一室に監禁され、明・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
出典:青空文庫