・・・「善根を積んだと云う気がするだろう?」「ふん、多少しないこともない。」 A中尉は軽がると受け流したまま、円窓の外を眺めていた。円窓の外に見えるのは雨あしの長い海ばかりだった。しかし彼はしばらくすると、俄かに何かに羞じるようにこう・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・本人も語らず、またかかる善根功徳、人が咎めるどころの沙汰ではない、もとより起居に念仏を唱える者さえある、船で題目を念ずるに仔細は無かろう。 されば今宵も例に依って、船の舳を乗返した。 腰を捻って、艪柄を取って、一ツおすと、岸を放れ、・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・新内と商人と、ふたりの生活人に自信を与えた善根によっても、地獄に堕ちるうれいはない。しずかな往生ができそうである。けれども、わが身が円タク拾って荻窪の自宅へ易々とかえれるような状態に在るうちは、心もにぶって、なかなか死ねまい。とにかく東京か・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・他をまねる場合でも、「人見せ善根」になってしまう。 こういう大将は、地下の分限者、町人などにうまく付けこまれる。やがて、家風が町人化し、口前のうまい、利をもって人々を味方につける人が、はばを利かしてくる。百人の内九十五人は町人形儀になり・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫