・・・細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしようと思うたのじゃ。」 下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そ・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・それに比べて、求める心のないうちから嘴を引き明けて英語、ドイツ語と咽喉仏を押し倒すように詰め込まれる今の学童は実にしあわせなものであり、また考えようではみじめなものでもある。 子供の時分にやっとの思いで手にすることのできた雑誌は「日本の・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ 舌を出したり咽喉仏を引っ込めて「あゝ」という気のきかない声を出したり、まぶたをひっくり返されたりするようななんでもない事が、ちょうど平衡を失ってゆるんでいるきわどいすきまへ出くわすためだかどうか、よくはわからないが、場合によってはこん・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・ 私はしばらくその老人の、高い咽喉仏のぎくぎく動くのを、見るともなしに見ていました。何か話し掛けたいと思いましたが、どうもあんまり向うが寂かなので、私は少しきゅうくつにも思いました。 けれども、ふと私は泉のうしろに、小さな祠のあるの・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・ 喉仏がとび出した部長が入って来た。机の引出しをあけて胃散を出してのんで、戦争の話をはじめた。「失業者の救済なんてどうせ出来っこないんだから、片っぱすから戦争へ出して殺しっちゃえば世話はいらないんだ」 極めて冷静な酷薄な調子で云・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 顔が細くて男にしては喉仏の小さいのや、少しずつひかえ目に内気に物を話すのが千世子には快い気持を起させた。 初対面のほぐれにくい話の緒をもてあます様にして居る肇の態度がまだそうはすれない人の様に見せてじきに一つ事に熱中するらしく見せ・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・ ジェルテルスキーは、咽喉仏を引き下げるようにして低い声で答えた。「私の力にかなうことなら悦んでお力になります」 が、そう云い終ると同時に、彼の艶のない白っぽい眉毛の生えた額際を我にもあらず薄赧くした。たった一間しかない住居のこ・・・ 宮本百合子 「街」
・・・ 油井は、喉仏から出すような声で話した。 自分が出て行く迄に油井が帰ってしまいはすまいかという不安で、みのえは死にそうであった。今は大切だ。一つの身動きで子供が目を醒したら最後だ。みのえは一筋に油井の声に縋りつきながら、一生懸命・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
出典:青空文庫