・・・しかも毛利先生はその度にひどく狼狽して、ほとんどあの紫の襟飾を引きちぎりはしないかと思うほど、頻に喉元へ手をやりながら、当惑そうな顔をあげて、慌しく自分たちの方へ眼を飛ばせる。と思うとまた、両手で禿げ頭を抑えながら、机の上へ顔を伏せて、いか・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ 喉元過ぎれば暑さを忘れるという。実際われわれには暑さ寒さの感覚そのものも記憶は薄弱であるように見える。ただその感覚と同時に経験した色々の出来事の記憶の印銘される濃度が、その時の暑さ寒さの刺戟によって、強調されるのではないかという気がす・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・然し、見も知らぬ通行人を、止めようとすると、云い難い外国語が、彼女の細い真直な少女の喉元を塞げるのだ。彼女は矢張り下手な売り手であった。そして、下手さは、清げなおかッぱや、或る品のあるきりっとした容貌と決して不釣合ではない! 私は、却って彼・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・と云ってグタグタといつもの様に首を振った時何ともつかない面白い様な可笑しい気持がして笑が喉元にグイグイとこみあげて来た。 そんなにこの大伯母に心配をかけるに十分なだけ信二もまたかっちまりのない風にゆれる夕顔みたいなノコンとした気・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・ 此の次はどんな声がするだろうと思うと、急に心臓の鼓動は激しくなり喉元で息をしながら動きもしずに立ちすくんで居ると、急に明るい光りが薄い瞼を透して感じられたのでハット思って目をあくと、目の前にはいつもより大変大きく見えた母が立って居た。・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・ 云わなければならないことがたくさん喉元まで込み上げて来ている。 けれども、どうしても言葉にまとまらない。何とか云わなければならないと思う心が強くなればなるほど、彼の舌が強ばって、口の奥に堅くなってしまう。 彼は徒に手拭を握った・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・社会的に最も身分の低いものとされ、斬り捨て御免の立場に置かれ、しかも経済の中枢では権力者の咽喉元を握っていた商人達は、自分の意思、自分の権力を、ほかのどこに示すことが出来たろう。結局物質的な実力を誇るしかなかったし、その一つの示威運動として・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫