・・・ 眼の下の長屋の一軒の戸が開いて、ねまき姿の若い女が喞筒へ水を汲みに来た。 雨の脚が強くなって、とゆがごくりごくり喉を鳴らし出した。 気がつくと、白い猫が一匹、よその家の軒下をわたって行った。 信子の着物が物干竿にかかったま・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・いや、井戸の水を吸上喞筒で汲みだしている若い女を見つめている。それでよいのだ。はじめから僕は、あの女を君に見せたかったのである。 まっ白いエプロンを掛けている。あれはマダムだ。水を汲みおわって、バケツを右の手に持って、そうしてよろよろと・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・飴を煮て四斗樽大の喞筒の口から大空に注ぐとも形容される。沸ぎる火の闇に詮なく消ゆるあとより又沸ぎる火が立ち騰る。深き夜を焦せとばかり煮え返るほのおの声は、地にわめく人の叫びを小癪なりとて空一面に鳴り渡る。鳴る中には砕けて砕けたる粉が舞い上り・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫