・・・…… この話は、たちまち幾百里の山河を隔てた、京畿の地まで喧伝された。それから山城の貉が化ける。近江の貉が化ける。ついには同属の狸までも化け始めて、徳川時代になると、佐渡の団三郎と云う、貉とも狸ともつかない先生が出て、海の向うにいる越前・・・ 芥川竜之介 「貉」
・・・ この淡島堂のお堂守時代が椿岳本来の面目を思う存分に発揮したので、奇名が忽ち都下に喧伝した。当時朝から晩まで代る代るに訪ずれるのは類は友の変物奇物ばかりで、共に画を描き骨董を品して遊んでばかりいた。大河内子爵の先代や下岡蓮杖や仮名垣魯文・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・一時は将棋盤の八十一の桝も坂田には狭すぎる、といわれるほど天衣無縫の棋力を喧伝されていた坂田も、現在の棋界の標準では、六段か七段ぐらいの棋力しかなく、天才的棋師として後世に記憶される人とも思えない。わずかに「銀が泣いてる坂田は生きてる」とい・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ ところが、南禅寺でのその対局をすませていったん大阪へ引きあげた坂田は、それから一月余りのち、再び京都へ出て来て、昭和の大棋戦と喧伝された対木村、花田の二局のうち、残る一局の対花田戦の対局を天龍寺の大書院で開始した。私は坂田はもう出て来・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・私は、救い難き、ごろつきとして故郷に喧伝されるに違いない。 その後の私の汚行に就いては、もはや言わない。ぬけぬけ白状するということは、それは、かえって読者に甘えている所以だし、私の罪を、少しでも軽くしようと計る卑劣な精神かも知れぬし、私・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・を完成し、作家オノレ・ド・バルザックの名は漸く世間的に認められ、新聞雑誌に喧伝せられるに到った。 翌年「カトリーヌ・ド・メディチ」「恐怖時代の一插話」などとともに発表された「革」は、その生涯の最後の年にあったゲーテの注意をもひき、バルザ・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ 農民作家の文学における意味については、農民文学云々と喧伝される初めから、恐らく多くの人々が、永年の都会住居で揉まれた揚句の農民作家としての再出現に対して或る疑問を抱いているだろうと思われる。それが手軽く今度は南洋へという風に動くのも、・・・ 宮本百合子 「文学と地方性」
出典:青空文庫