・・・すでに断絶している純粋自然主義との結合を今なお意識しかねていることや、その他すべて今日の我々青年がもっている内訌的、自滅的傾向は、この理想喪失の悲しむべき状態をきわめて明瞭に語っている。――そうしてこれはじつに「時代閉塞」の結果なのである。・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・の後半に至り、人物の思考が美術工芸の世界へ精神的拠り所を求めることによって肉体をはなれてしまうと、にわかに近代小説への発展性を喪失したのも、この野心的作家の出発が志賀直哉にはじまり、志賀直哉以前の肉体の研究が欠如していたからではあるまいか。・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・というスタンダールの生き方にあこがれながら、青春を喪失した私は、「われわれは軽佻か倦怠かのどちらか一方に陥ることなくして、その一方を免れることは出来ない」 というジンメルの言葉に、ついぞ覚えぬ強い共感を抱きながら、軽佻な表情のまま倦怠し・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・起ち上りぎわに、つづけざまに打たれて、そのまま自信を喪失した新人も多い。新人を攻撃しつづけると、彼は自己の特徴である個性的表現を薄めようとする。だから、まず彼をほめ、おだてて、思う存分個性的表現を発揮させるがよい。けなすのは、そのあとからで・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・ましてそれは早期の童貞喪失を伴いやすく、女性を弄ぶ習癖となり、人生一般を順直に見ることのできない、不幸な偏執となる恐れがあるのである。 学生時代に女性侮蔑のリアリズムを衒うが如きは、鋭敏に似て実は上すべりであり、決して大成する所以ではな・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・君自身の肉体の疲労やら、精神の弛緩、情熱の喪失を、ひたすら時代のせいにして、君の怠惰を巧みに理窟附けて、人の同情を得ようとしている。行きづまった、けれどもその理由は、申し上げません等と、なんという思わせ振りな懦弱な言いかたをするのだろう。ひ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ エゴが喪失してしまっているのだ。それから、――と言いかけて、これも言いたくなし。もう一つ言える。私を信じないやつは、ばかだ。 さて、兵隊さんの原稿の話であるが、私は、てれくさいのを堪えて、編輯者にお願いする。ときたま、載せてもらえ・・・ 太宰治 「鴎」
・・・自己喪失症とやらの私には、他人の口を借りなければ、われに就いて、一言一句も語れなかった。たち拠らば大樹の陰、たとえば鴎外、森林太郎、かれの年少の友、笠井一なる夭折の作家の人となりを語り、そうして、その縊死のあとさきに就いて書きしるす。その老・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・青年の没個性、自己喪失は、いまの世紀の特徴と見受けられます。以下、必ず一読せられよ。刺し殺される日を待って居る。私は或る期間、穴蔵の中で、陰鬱なる政治運動に加担していた。月のない夜、私ひとりだけ逃げた。残された仲間は、すべて、いのちを失った・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・よし現存の幸福が如何に大きくとも、この償い難き喪失の感情は彼に永遠の不安を与える。」というような文章があったけれども、そのしなかった悔いを噛みたくないばかりに、のこのこ佐渡まで出かけて来たというわけのものかも知れぬ。佐渡には何も無い。あるべ・・・ 太宰治 「佐渡」
出典:青空文庫