・・・けれども尼提はこう思った時、また如来の向うから歩いて来るのに喫驚した。 三度目に尼提の曲った路にも如来は悠々と歩いている。 四たび目に尼提の曲った道にも如来は獅子王のように歩いている。 五たび目に尼提の曲った路にも、――尼提は狭・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・どの色も美しかったが、とりわけて藍と洋紅とは喫驚するほど美しいものでした。ジムは僕より身長が高いくせに、絵はずっと下手でした。それでもその絵具をぬると、下手な絵さえがなんだか見ちがえるように美しく見えるのです。僕はいつでもそれを羨しいと思っ・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・って喫驚していたよ。おれはそんなに俗人に見えるのかな。A 「歌人」は可かったね。B 首をすくめることはないじゃないか。おれも実は最初変だと思ったよ。Aは歌人だ! 何んだか変だものな。しかし歌を作ってる以上はやっぱり歌人にゃ違いないよ・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ と女中は思入たっぷりの取次を、ちっとも先方気が着かずで、つい通りの返事をされたもどかしさに、声で威して甲走る。 吃驚して、ひょいと顔を上げると、横合から硝子窓へ照々と当る日が、片頬へかっと射したので、ぱちぱちと瞬いた。「そんな・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・「状を見ろ、弱虫め、誰だと思うえ、小烏の三之助だ。」 と呵々と笑って大得意。「吃驚するわね、唐突に怒鳴ってさ、ああ、まだ胸がどきどきする。」 はッと縁側に腰をかけた、女房は草履の踵を、清くこぼれた褄にかけ、片手を背後に、あら・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 其朝なんか、よっぽど可笑しかった、兼公おれの顔を見て何と思ったか、喫驚した眼をきょろきょろさせ物も云わないで軒口ヘ飛んで出た、おれが兼さんお早ようと詞を掛ける、それと同んなじ位に、「旦那何んです」 とあの青白い尖口の其のたまげ・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・作さんという人は店に在ないから、椿岳の娘は不思議に思って段々作さんという人の容子を聞くと、馬に乗ってるという事から推しても父の椿岳に違いないので、そんならお父さんですというと、家内太夫は初めて知って喫驚したそうだ。椿岳は万事がこういう風に人・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・子に夢とも、現ともなく、鬼気人に迫るものがあって、カンカン明るく点けておいた筈の洋燈の灯が、ジュウジュウと音を立てて暗くなって来た、私はその音に不図何心なく眼が覚めて、一寸寝返りをして横を見ると、呀と吃驚した、自分の直ぐ枕許に、痩躯な膝を台・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・活を送った末、病苦と失業苦にうらぶれた身を横たえたのが東成区北生野町一丁目ボタン製造業古谷新六氏方、昨二十二日本紙記事を見た古谷氏は“人生紙芝居”の相手役がどうやら自宅の二階にいる秋山君らしいと知って吃驚、本紙を手にして大今里町三宅春松氏方・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 西日の当るところで天婦羅を揚げていた種吉は二人の姿を見ると、吃驚してしばらくは口も利けなんだ。日に焼けたその顔に、汗とはっきり区別のつく涙が落ちた。立ち話でだんだんに訊けば、蝶子の失踪はすぐに抱主から知らせがあり、どこにどうしているこ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
出典:青空文庫