・・・ 林の中に嗄れた誦経の声がひゞき渡ると、薪は点火せられ、戦死者は、煙に化して行くのだった。薪が燃える周囲の雪が少しばかり解けかける。 自分の意志を苅りこまれ、たゞ一つの殺人器のようにこき使われた彼等は、すべての希望を兵役の義務から解・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・とわざと嗄れた声を作って言い出すのだから、実に、どうにも浅間しく複雑で、何が何だか、わからなくなるのである。女の癖に口鬚を生やし、それをひねりながら、「そもそも女というものは、」と言い出すのだから、ややこしく、不潔に濁って、聞く方にとっては・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・しどろもどろになり、声まで嗄れて、「よく来たねえ。」まるで意味ないことを呟いた。絶えず訪問客になやまされている人の、これが、口癖になっているのかも知れぬ。 相手の女も、多少、興奮している様子であった。男爵のその白痴めいた寝言を、気に・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ 痩躯、一本の孟宗竹、蓬髪、ぼうぼうの鬚、血の気なき、白紙に似たる頬、糸よりも細き十指、さらさら、竹の騒ぐが如き音たてて立ち、あわれや、その声、老鴉の如くに嗄れていた。「紳士、ならびに、淑女諸君。私もまた、幸福クラブの誕生を、最もよ・・・ 太宰治 「喝采」
・・・私は、これより数段、巧みに言い表わされたる、これら諸感情に就いての絶叫もしくは、嗄れた呟きを、阪東妻三郎の映画のタイトルの中に、いくつでも、いくつでも、発見できるつもりで居る。殊にも、おのが貴族の血統を、何くわぬ顔して一こと書き加えていたと・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・名状すべからざる恐怖のため、私の膝頭が音たててふるえるので、私は、電気をつけようと嗄れた声で主張いたしました。そのとき、高橋の顔に、三歳くらいの童子の泣きべそに似た表情が一瞬ぱっと開くより早く消えうせた。『まるで気違いみたいだろう?』ともち・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・その人に、太宰という下手くそな作家の、醜怪に嗄れた呟きが、いったい聞えるものかどうか。私の困惑は、ここに在る。 私は今まで、なんのいい小説も書いていない。すべて人真似である。学問はない。未だ三十一歳である。青二歳である。未だ世間を知らぬ・・・ 太宰治 「困惑の弁」
・・・ いや、なんともありません、と私は流石にてれくさく、嗄れた声で不気嫌に答えた。「これ、幸吉さんの妹さんから。」百合の花束を差し出した。「なんですか、それは。」私は、その三、四輪の白い花を、ぼんやり眺めて、そうして大きいあくびが出・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・と言った僕の声は嗄れていた。 ツネちゃんは歩けない様子であった。僕は自分の左脇にかかえるようにしてツネちゃんを療養所に連れ込み、医務室へ行った。出血の多い割に、傷はわずかなものだった。医者は膝頭に突きささっている鉛の弾を簡単にピンセット・・・ 太宰治 「雀」
・・・好きなのだから仕様がないという嗄れた呟きが、私の思想の全部であった。二十五歳。私はいま生れた。生きている。生き、切る。私はほんとうだ。好きなのだから仕様がない。しかしながら私は、はじめから歓迎されなかったようである。無理心中という古くさい概・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
出典:青空文庫