・・・嗅ぐさ、お前さん、べろべろと舐める。目から蝋燭の涙を垂らして、鼻へ伝わらせて、口へ垂らすと、せいせい肩で呼吸をする内に、ぶるぶると五体を震わす、と思うとね、横倒れになったんだ。さあ、七顛八倒、で沼みたいな六畳どろどろの部屋を転摺り廻る……炎・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・あの女は羨しいと思いますと、お腹の裡で、動くのが、動くばかりでなくなって、もそもそと這うような、ものをいうような、ぐっぐっ、と巨きな鼻が息をするような、その鼻が舐めるような、舌を出すような、蒼黄色い顔――畜生――牡丹の根で気絶して、生死も知・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・これが鶯か、かなりやだと、伝統的にも世間体にも、それ鳥籠をと、内にはないから買いに出る処だけれど、対手が、のりを舐める代もので、お安く扱われつけているのだから、台所の目笊でその南の縁へ先ず伏せた。――ところで、生捉って籠に入れると、一時と経・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・と窪んで暗い、崕と石垣の間の、遠く明神の裏の石段に続くのが、大蜈蚣のように胸前に畝って、突当りに牙を噛合うごとき、小さな黒塀の忍び返の下に、溝から這上った蛆の、醜い汚い筋をぶるぶると震わせながら、麸を嘗めるような形が、歴然と、自分が瞳に映っ・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・壁も柱もまだ新しく、隙間とてもないのに、薄い霧のようなものが、すっと這入っては、そッと爪尖を嘗めるので、変にスリッパが辷りそうで、足許が覚束ない。 渠は壁に掴った。 掌がその壁の面に触れると、遠くで湯の雫の音がした。 聞き澄すと・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
一、堅く堅く志を立てること。およそ一芸に秀で一能に達するには、何事によらず容易なことではできない。それこそ薪に臥し胆を嘗めるほどの苦心がいるものと覚悟せねばならない。昔から名人の域に達した人が、どれほど苦しんだかとい・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・しかし、それから五年経ち、大戦の辛苦を嘗めるに及んで、あの「東京八景」だけでは、何か足りないような気がして、こんどは一つ方向をかえ、私がこれまで東京に於いて発表して来た作品を主軸にして、私という津軽の土百姓の血統の男が、どんな都会生活をして・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・先日も、毛唐がどんなに威張っても、この鰹の塩辛ばかりは嘗める事が出来まい、けれども僕なら、どんな洋食だって食べてみせる、と妙な自慢をして居られた。 主人の変な呟きの相手にはならず、さっさと起きて雨戸をあける。いいお天気。けれども寒さは、・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・いま、この友人が、こんなに乱れて主人に食ってかかっているが、今にきっと私たち二人、追放の恥辱を嘗めるようになるだろうと、私は、はらはらしていた。いつもの私なら、そんな追放の恥辱など、さらに意に介せず、この友人と共に気焔を挙げるにきまっている・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・それから、飯を食うと米の飯が妙に苦くて脂を嘗めるようであった。全く何一つとして好いことはなかったのに、どうしてそれを我慢してあらゆる困難を克服したか分りかねる。しかしとにかくそれに打勝って平気で鼻の孔から煙を出すようにならないと一人前になれ・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
出典:青空文庫