・・・「世の嘲りはうける。家督は人の手に渡す。天道の光さえ、修理にはささぬかと思うような身の上じゃ。その修理が、今生の望にただ一度、出仕したいと云う、それをこばむような宇左衛門ではあるまい。宇左衛門なら、この修理を、あわれとこそ思え、憎いとは・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・僕は一時的清教徒になり、それ等の女を嘲り出した。「S子さんの唇を見給え。あれは何人もの接吻の為に……」 僕はふと口を噤み、鏡の中に彼の後ろ姿を見つめた。彼は丁度耳の下に黄いろい膏薬を貼りつけていた。「何人もの接吻の為に?」「・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・世間は公然、私を嘲り始めました。そうしてまた、私の妻を憎み始めました。現にこの頃では、妻の不品行を諷した俚謡をうたって、私の宅の前を通るものさえございます。私として、どうして、それを黙視する事が出来ましょう。 しかし、私が閣下にこう云う・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ と、かッきと、腕にその泣く子を取って、一樹が腰を引立てたのを、添抱きに胸へ抱いた。「この豆府娘。」 と嘲りながら、さもいとしさに堪えざるごとく言う下に、「若いお父さんに骨をお貰い。母さんが血をあげる。」 俯向いて、我と・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・国家の大危険にして信仰を嘲り、これを無用視するがごときことはありません。私が今日ここにお話しいたしましたデンマークとダルガスとにかんする事柄は大いに軽佻浮薄の経世家を警むべきであります。・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・自分はわが説が嘲りの中に退けられたように不快を感ずる。もしかなたの帆も同じくこちらへ帰るのだとすると、実際の藤さんの船はどれであろう。あちらへ出るのには今の場合は帆が利かぬわけである。けれども帆のない船であちらへ行くのは一つもない。右から左・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・凌雲閣上人豆のごとしと思う我を上より見下ろして蛆のごとしと嘲りし者ありしや否や。右へ廻れば藤棚の下に「御子供衆への御土産一銭から御座ります」と声々に叫ぶ玩具売りの女の子。牡丹燈籠とかの活人形はその脇にあり。酒中花欠皿に開いて赤けれども買う人・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・日を捨てず夜を捨てず、二六時中繰り返す真理は永劫無極の響きを伝えて剣打つ音を嘲り、弓引く音を笑う。百と云い千と云う人の叫びの、はかなくて憐むべきを罵るときかれる。去れど城を守るものも、城を攻むるものも、おのが叫びの纔かにやんで、この深き響き・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
うす暗き片すみにかがむ死の影は夜の気の定まると共にその衣のひだをまし光をまし 毒気をまして人間の心の臓をうかがいて迫る。黒き衣の陰に大鎌は閃きて世を嘲り見すかしたる様にうち笑む死の影は長き衣を・・・ 宮本百合子 「片すみにかがむ死の影」
・・・女性の一生の見かたのなかに日頃からそういうモメントがふくまれていることには寸毫も思いめぐらさないで、全級の前での嘲りをこめた叱責と水で洗いおとさせるという処置しかできなかったのも、おそらくはその時分の正しさについての常識の粗野さであったろう・・・ 宮本百合子 「歳月」
出典:青空文庫