・・・ また「四方」とかいう題で、子供が朝日の方を向いて手を拡げている図などの記憶が、次つぎ憶い出されて来た。 国定教科書の肉筆めいた楷書の活字。またなんという画家の手に成ったものか、角のないその字体と感じのまるで似た、子供といえば円顔の・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・石段を登りつめると、ある家の中庭らしい所へ出た。四方板べいで囲まれ、すみに用水おけが置いてある、板べいの一方は見越しに夏みかんの木らしく暗く茂ったのがその頂を出している、月の光はくっきりと地に印して寂として人のけはいもない。徳二郎はちょっと・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・そして間もなく四方から二人を取りかこむようにして近づいて来た。 吉田は銃をとって、近づいて来る奴を、ねらって射撃しだした。小村も銃をとった。しかし二人は、兎をうつ時のように、微笑むような心持で、楽々と発射する訳には行かなかった。ねらいを・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・何ぞと問うに、四方幕というものぞという。心得がたき名なり。 石原というところに至れば、左に折るる路ありて、そこに宝登山道としるせる碑に対いあいて、秩父三峰道とのしるべの碑立てり。径路は擱きていわず、東京より秩父に入るの大路は数条ありとも・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 俺はその時、フト硝子戸越しに、汚い空地の隅ッこにほこりをかぶっている、広い葉を持った名の知れない草を見ていた。四方の建物が高いので、サン/\とふり注いでいる真昼の光が、それにはとゞいていない。それは別に奇妙な草でも何んでもなかったが―・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・われて後のことなり俊雄は冬吉の家へ転げ込み白昼そこに大手を振ってひりりとする朝湯に起きるからすぐの味を占め紳士と言わるる父の名もあるべき者が三筋に宝結びの荒き竪縞の温袍を纏い幅員わずか二万四千七百九十四方里の孤島に生れて論が合わぬの議が合わ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・それを『蓬屋』と書いたものか、『四方木屋』と書いたものかと言うんで、いろいろな説が出たよ。」「そりゃ、『蓬屋』と書くよりも、『四方木屋』と書いたほうがおもしろいでしょう。いかにも山家らしくて。」 こんな話も旅らしかった。 甲府ま・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 東京の市街だけでも、二里四方の面積にわたって四十一万の家々が灰になり、死者七万四千、ゆくえ不明二十一万、焼け出された人口が百四十万、損害八億一千五百万円に上っています。横浜、小田原なぞはほとんど全部があとかたもなく焼けほろびてしまいま・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・その鳴き声に応ずる声がまた森の四方にひびきわたって、大地はゆるぎ、枝はふるい、石は飛びました。しかして途方にくれた母子二人は二十匹にも余る野馬の群れに囲まれてしまいました。 子どもは顔をおかあさんの胸にうずめて、心配で胸の動悸は小時計の・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・・プレゼントだと言って無闇にお金をくれてやって、それからお昼頃にタキシーを呼び寄せさせて何処かへ行き、しばらくたって、クリスマスの三角帽やら仮面やら、デコレーションケーキやら七面鳥まで持ち込んで来て、四方に電話を掛けさせ、お知合いの方たちを・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
出典:青空文庫