・・・殊にこの朝はその回想が厳しく心に逼った。 今朝の夢で見た通り、十歳の時眼のあたり目撃した、ベルナルドーネのフランシスの面影はその後クララの心を離れなくなった。フランシスが狂気になったという噂さも、父から勘当を受けて乞食の群に加わったとい・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 詩を書いていた時分に対する回想は、未練から哀傷となり、哀傷から自嘲となった。人の詩を読む興味もまったく失われた。眼を瞑ったようなつもりで生活というものの中へ深入りしていく気持は、時としてち・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 夜更けの書斎で一人こんな回想に耽っていると、コトンコトンと床の間の掛軸が鳴った。雨戸の隙間からはいる風が強くなって来たらしい。千日前の話は書けそうにもない。私は首を縮めて寝床にはいった。そして大きな嚔を続けざまにしたあと、蒲団の中で足・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 私は静かな眠った港を前にしながら転変に富んだその夜を回想していた。三里はとっくに歩いたと思っているのにいくらしてもおしまいにならなかった山道や、谿のなかに発電所が見えはじめ、しばらくすると谿の底を提灯が二つ三つ閑かな夜の挨拶を交しなが・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・そしてこれを聴く小山よりもこれを読む自分の方が当時を回想する情に堪えなかった。 時は忽然として過ぎた、七年は夢のごとくに経過した。そして半熟先生ここに茫然として半ば夢からさめたような寝ぼけ眼をまたたいている。五 午後二人・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・と思いつづけて来てハタとお徳の今日昼間の皮肉を回想して「水の世話にさえならなきゃ如彼奴に口なんか利かしや仕ないんだけど、房州の田舎者奴が、可愛がって頂だきゃ可い気になりゃアがってどうだろうあの図々しい案梅は」とお徳の先刻の言葉を思い出し、「・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・少しく小説の数をかけて読んだお方が、ちょっと瞑目して回想なさったらば、馬琴前後および近時の写実的傾向を帯びた小説等の主人公や副主人公や、事件の首脳なんどが、いかに多く馬琴の著わした小説中の枝葉の部分に見出さるるかという点には必ず御心づきにな・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・熱い空気に蒸される林檎の可憐らしい花、その周囲を飛ぶ蜜蜂の楽しい羽音、すべて、見るもの聞くものは回想のなかだちであったのである。其時自分は目を細くして幾度となく若葉の臭を嗅いで、寂しいとも心細いとも名のつけようのない――まあ病人のように弱い・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・ 回想はある都会風の二階座敷の方へおげんの心を連れて行って見せた。おげんの弟が二人も居る。おげんの伜が居る。伜の娵も居る。その娵は皆の話の仲間入をしようとして女持の細い煙管なぞを取り出しつつある。二階の欄のところには東京を見物顔なお新も・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・その後小母さんからよこす手紙にも、いつでも自分がいたころの事をあれこれ回想していながら、今に藤さんの話は垢ほども書いてはこない。 以来永く藤さんの事は少しも思わない。よく思うのは思うけれど、それは藤さんを思うのではない。千鳥の話の中の藤・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫