・・・ もっとも向うの身になって見れば、母一人が患者ではなし、今頃はまだ便々と、回診か何かをしているかも知れない。いや、もう四時を打つ所だから、いくら遅くなったにしても、病院はとうに出ている筈だ。事によると今にも店さきへ、――「どうです?」・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 不時の回診に驚いて、ある日、その助手たち、その白衣の看護婦たちの、ばらばらと急いで、しかも、静粛に駆寄るのを、徐ろに、左右に辞して、医学博士秦宗吉氏が、「いえ、個人で見舞うのです……皆さん、どうぞ。」 やがて博士は、特等室・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ ある日回診の番が隣へ廻ってきたとき、いつもよりはだいぶ手間がかかると思っていると、やがて低い話し声が聞え出した。それが二三人で持ち合ってなかなか捗取らないような湿り気を帯びていた。やがて医者の声で、どうせ、そう急には御癒りにはなります・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・ その夜の回診のとき、彼の妻は自分の足を眺めながら医師に訊ねた。「先生、私の足、こんなに膨れて来て、どうしたんでございましょう。」「いや、それは何んでもありません。御心配なさいますな。何んでもありませんから。」と医師は誤魔化した・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫