・・・ それだのに文学と科学という名称の対立のために、因襲的に二つの世界は截然と切り分けられて来た。文学者は科学の方法も事実も知らなくても少しもさしさわりはないと考えられ、科学者は文学の世界に片足をも入れるだけの係わりをもたないで済むものと思・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・今日純粋物理学の立場から言えば感覚に関した音という概念はもはや消滅したわけであるが因習の惰性で今日でも音響学という名前が物理学の中に存している。今日ではむしろ弾性体振動学とでもいうべきであろう。光の感覚でも同様である。光覚に関する問題は生理・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・八 然り、多年の厳しい制度の下にわれらの生活は遂に因襲的に活気なく、貧乏臭くだらしなく、頼りなく、間の抜けたものになったのである。その堪えがたき裏淋しさと退屈さをまぎらすせめてもの手段は、不可能なる反抗でもなく、憤怒怨嗟でも・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・あれを真面目に見ているのは、虚偽の因襲に囚われた愚かな見物である。○立ち廻りとか、だんまりとか号するものは、前後の筋に関係なき、独立したる体操、もしくは滑稽踊として賞翫されているらしい。筋の発展もしくは危機切逼という点から見たら、いかに・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
・・・ただ私はお客である、あなたがたは主人である、だからおとなしくしなくてはならない、とこう云おうとすれば云われない事もないでしょうが、それは上面の礼式にとどまる事で、精神には何の関係もない云わば因襲といったようなものですから、てんで議論にはなら・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・科学的否定とは、行為的直観の立場から我々の自己の因襲的な先入見、独断を否定することでなければならない。分析はデカルトの分析の意味でなければならない。否定のための否定、分析のための分析は、懐疑のための懐疑と択ぶ所がない。故に科学的知識成立には・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・十九の少女は、自分の日々がその中で営まれている環境の内部にある複雑な家族関係とその感情、弟の短い生涯を悲劇的にした家族制度の因習ということには、とりくむ実力をもっていなかったことが、この短篇に語られているのである。「貧しき人々の群」「日・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・女子が、神経の弱い、社会的因襲による無智から常規を逸しやすいものとして、結論に当っていくらかの斟酌を加えられる場合は決して尠くないけれども、刑法は女子が人妻だからといって無能力者と規定してはいないのである。日本の婦人の置かれて来た立場の奇怪・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・――工場内で、女が工場管理者をしているということを、因習やその他の偏見からあきたらずに思っているような奴が少からずあるのであった。 工場管理者代理、労働者、党員ルイジョフ、及び婦人服部職長で五十歳のソフォン・ボルティーコフなどはその代表・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ けれども、現代の一般社会には、女性の人としての生活、人としての発展を心から肯定し助力しようとする傾向と並んで、因襲的な過去の亡霊にしがみ付いて、飽までも女性を昔ながらの「女」にして置こうとする傾向とがあるように、女性の心そのものの裡に・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
出典:青空文庫