・・・この小説は言ってみれば文化平衡論を小説にしたようなものであった。困窮な下層小市民の家庭から出て、大学教育まで受け、時代の波に洗われて親が描いたような出世の道は辿らなかった一青年が、遂に自分の教養、知性のまやかしものであることに思い到って、出・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・戦災者、復員者、引揚者みんな困窮している人々は六年を終った子供を生計のための助手にしなければやりきれない場合が多い。工場へなり給仕になり店員になりやってせめて喰べるものだけは、何とかして雇主にもって貰いたいという非常に切迫した要求がある。現・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・長寿を完うした人であったし、困窮の裡に死んだ人でもなかったから、神官も他の文句を考えられなかったのだろう。けれども、私は、朗々と其等の文章が読み上げられたとき、明に一種の不愉快を感じた。のりとが余りとおり一遍で、嘘だという気が切なく湧いた。・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・あらゆる困窮の裡にあって、変らぬ助手とし、友とし、愛人として暖く男子の生涯を護った女性に、彼等祖先は、真個のノストラ・マーターの永遠性を感得せずにはいられなかったのです。まして、その時代には、移住した男子の数より遙に女性のそれは少なかったで・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・経済的に困窮した。宮本顕治が一九四〇年に結核のために重態になったが、幸い、回復できた。この年の夏チブスにかかり、再びなおることができた。太平洋戦争第三年目で真珠湾の幻想は現実によってくずされはじめていた。日本の支配権力は戦争反対者に・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・米価はひどい騰貴で商人は肥え、庶人は困窮し、しかも日光の陽明門が気魄の欠けた巧緻さで建造され、絵画でも探幽、山楽、光悦、宗達等の色彩絢爛なものがよろこばれている。よるべない下級武士の二六時にのしかかって来る生活のそういう矛盾が、宗房のような・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・十数年後ハンスカ夫人に宛てた手紙の中でバルザックが当時の優しい回想に溺れながら述べているように、困窮の中にある「人間を極度の卑屈から守る自負を」バルザックの心に植えつけたのも彼女の激励のたまものであった。ベルニィ夫人は、自分が両親を通して知・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・社会的に文学者の生活が困窮への道を辿り、そのことではとりも直さず日本のインテリゲンツィアの一般的な窮乏、勤労者化が語られている今日、原稿料などは問題でなく、時間を好むままにつかって自身の空想、幻想、官能を文学の形にまとめてゆく夫人たちが、今・・・ 宮本百合子 「婦人作家の今日」
・・・についていた人であるから、金を蓄える方面は一向に駄目で、島根へ、役人として袴着一人をつれて行っていた暮しの間でも、米沢の家の近所のものには太政官札を行李につめて送ってよこすそうだと噂されつつ、内輪は大困窮。その頃の旧藩士と新政府とに対する微・・・ 宮本百合子 「明治のランプ」
・・・三人は日ごとに顔を見合っていて気が附かぬが、困窮と病痾と羇旅との三つの苦艱を嘗め尽して、どれもどれも江戸を立った日の俤はなくなっているのである。 文吉がこの話をした翌日の朝であった。相宿のものがそれぞれ稼に出た跡で、宇平は九郎右衛門の前・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫