・・・ * * * 元宰先生(董其昌が在世中のことです。ある年の秋先生は、煙客翁と画論をしている内に、ふと翁に、黄一峯の秋山図を見たかと尋ねました。翁はご承知のとおり画事の上では、大癡を宗としていた人です・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・そしてしかたなしに監督に向きなおって、その父に当たる人の在世当時の思い出話などをして一人興がった。「元気のいい老人だったよ、どうも。酔うといつでも大肌ぬぎになって、すわったままひとり角力を取って見せたものだったが、どうした癖か、唇を締め・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ が、その後、折を見て、父が在世の頃も、その話が出たし、織次も後に東京から音信をして、引取ろう、引取ろうと懸合うけれども、ちるの、びるので纏まらず、追っかけて追詰めれば、片音信になって埒が明かぬ。 今日こそ何んでも、という意気込みで・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・釈尊も、八十歳までのながいあいだ在世されたればこそ、仏日はかくも広大にかがやきわたるのであろう。孔子も、五十にして天命を知り、六十にして耳したがい、七十にして心の欲するところにしたがい矩をこえず、といった。老いるにしたがって、ますます識高く・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・(衛門の門に入って測量の学を修め、七十歳を超えて、日本全国の測量地図を完成した、趙州和尚は、六十歳から參禅修業を始め、二十年を経て漸く大悟徹底し、爾後四十年間、衆生を化度した、釈尊も八十歳までの長い間在世されたればこそ、仏日爾く広大に輝き渡・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・父が在世中なれば、問いただすこともできるのですが、父がなくなって、もう、かれこれ十五年にもなりますものね。いや、やっぱり神さまのお恵みでございましょう。 私は、そう信じて安心しておりたいのでございますけれども、どうも、年とって来ると、物・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・現在世に行われている「八雲琴」は、これである。発明者は、中山通郷氏という事になっている。なお彼は、文政十年、十六歳の春より人に代筆せしめ稽古日記を物し始めたが、天保八年、二十六歳になってからは、平仮名いろは四十八文字、ほかに数字一より十まで・・・ 太宰治 「盲人独笑」
余は真宗の家に生れ、余の母は真宗の信者であるに拘らず、余自身は真宗の信者でもなければ、また真宗について多く知るものでもない。ただ上人が在世の時自ら愚禿と称しこの二字に重きを置かれたという話から、余の知る所を以て推すと、愚禿・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
出典:青空文庫