・・・僕はほら地名や職業の名や数字を夥しく作品の中にばらまくでしょう。これはね、曖眛な思想や信ずるに足りない体系に代るものとして、これだけは信ずるに足る具体性だと思ってやってるんですよ。人物を思想や心理で捉えるかわりに感覚で捉えようとする。左翼思・・・ 織田作之助 「世相」
ずっと前の事であるが、或人から気味合の妙な談を聞いたことがある。そしてその話を今だに忘れていないが、人名や地名は今は既に林間の焚火の煙のように、何処か知らぬところに逸し去っている。 話をしてくれた人の友達に某甲という男があった。そ・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・とりわけ、地名や人名または切支丹の教法上の術語などには、きっとなやまされるであろうと考えた。白石は、江戸小日向にある切支丹屋敷から蛮語に関する文献を取り寄せて、下調べをした。 シロオテは、程なく江戸に到着して切支丹屋敷にはいった。十一月・・・ 太宰治 「地球図」
・・・孕は地名で、高知の海岸に並行する山脈が浦戸湾に中断されたその両側の突端の地とその海峡とを込めた名前である。この現象については、最近に、土佐郷土史の権威として知られた杜山居士寺石正路氏が雑誌「土佐史壇」第十七号に「郷土史断片」その三〇として記・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・これを採用するとした上で山名の読み方が問題となるが、これは「大日本地名辞書」により、そのほかには小川氏著「日本地図帳地名索引」、また「言泉」等によることにした。それにしても、たとえば海門岳が昔は開聞でヒラキキと呼ばれ、ヒラキキ神社があるなど・・・ 寺田寅彦 「火山の名について」
・・・いろいろの本で読んだ覚えのある、そしていろいろの美しい連想に結びつけられたこれらの美しい地名が一つ一つ強い響きを胸に伝える。船が進むにつれて美しい自然と古い歴史をもった市街のパノラマが目の前に押し広げられるのである。子供の時分から色刷り石版・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
地名には意味の分らないのが多い。これはむしろ当然の事である。地名は保存されつつ永い年代の間に転訛する、一方で吾々の通用語はまたこれと別の経路を取って変遷するからである。こういう訳であるから地名の研究が民族の過去の歴史を研究する上に重要・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
・・・、ならびにこれに連関して問題となるべき陸地の昇降、地震、火山現象等を追究するに当たって、しばしば古い過去における水陸分布の状態と現在のそれとの異同が問題となり、その一つの参考資料としていろいろな土地の地名の意義が引き合いに出る場合がある。そ・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・イタリアの地名のようだと思った事があるからそのせいだか、あるいはこの符号のついた本を比較的に多く買ったためだか、とにかくこのアンカナの四字が丸善その物の象徴のように自分の脳髄のすみのほうに刻みつけられている。 昔の丸善の旧式なお店ふうの・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・しかしそれはいずれも三十前後の時の戯れで、当時の記憶も今は覚束なく、ここに識す地名にも誤謬がなければ幸である。 真間川の水は堤の下を低く流れて、弘法寺の岡の麓、手児奈の宮のあるあたりに至ると、数町にわたってその堤の上に桜の樹が列植されて・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫