・・・そして、地虫は、さながら、春の夜を思わせるように哀れっぽい調子で、唄をうたっていました。 幾たびか、眠られぬままに、からだを動かしていたちょうはついに、月の光を浴びながら、どこへとなく、飛び去ってしまいました。 そしてふたたび、彼女・・・ 小川未明 「冬のちょう」
・・・どこの石垣のすみで鳴くとも知れないような、ほそぼそとした地虫の声も耳にはいる。私は庭に向いた四畳半の縁先へ鋏を持ち出して、よく延びやすい自分の爪を切った。 どうかすると、私は子供と一緒になって遊ぶような心も失ってしまい、自分の狭い四畳半・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ ……もう土間の隅では微に地虫が鳴いている。秋の日を眺めながら、荷車に乗ってゆくという沢や婆と坐っていると、植村の婆さんの心は妙に寂しくなって来た。彼女も、夫に死なれてから全くの一人身であった。村の縫物をして、やっと暮していた。彼女には・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・私の目下はあの地虫が春が来てひとりでに殼を破って地上に抜け出る、あの漸進的な自然の外脱を得たいと思います。 至純な芸術境にあって死身に仕事が出来れば結構ですが、要するに其も質の問題だと思います。エルマンをお聴きでしたか。世の中に一人あっ・・・ 宮本百合子 「女流作家として私は何を求むるか」
出典:青空文庫