・・・これは和漢天竺の話を享保頃の坊さんの集めた八巻ものの随筆である。しかし面白い話は勿論、珍らしい話も滅多にない。僕は君臣、父母、夫婦と五倫部の話を読んでいるうちにそろそろ睡気を感じ出した。それから枕もとの電燈を消し、じきに眠りに落ちてしまった・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・その両側にはいろいろな楽器を持った坊さんが、一列にずっと並んでいる。奥の方には、柩があるのであろう。夏目金之助之柩と書いた幡が、下のほうだけ見えている。うす暗いのと香の煙とで、そのほかは何があるのだかはっきりしない。ただ花輪の菊が、その中で・・・ 芥川竜之介 「葬儀記」
・・・ 掌にのせた紙入形を凝とためて、「人数が足りないかしら、もっとも九ツ坊さんと来りゃあ、恋も呪もしますからね。」 で、口を手つだわせて、手さきで扱いて、懐紙を、蚕を引出すように数を殖すと、九つのあたまが揃って、黒い扉の鍵穴へ、手足・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・三人の兄弟で、仁右衛門と申しますあの鼻は、一番の惣領、二番目があとを取ります筈の処、これは厭じゃと家出をして坊さんになりました。 そこで三蔵と申しまする、末が家へ坐りましたが、街道一の家繁昌、どういたして早やただの三蔵じゃあございません・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・都をば霞とともに出でしかど……一首を読むのに、あの洒落ものの坊さんが、頭を天日に曝したというのを思出す……「意気な人だ。」とうっかり、あみ棚に預けた夏帽子の下で素頭を敲くと、小県はひとりで浮かり笑った。ちょっと駅へ下りてみたくなったのだそう・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・年は同じだけどわれわれお坊さんとはわけが違う。それでおとよさんは真から親切だ。省作はひとり思いにふけって昨日のおとよさんの様子を思い出した。政さんのいうことも本当だ。おとよさんは隣に嫁になってるとはかわいそうだ。なるほど政さんのいうとおり隣・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・庭半分程這入って行くと、お松は母と二人で糸をかえしていて、自分達を認めると直ぐ「あれまア坊さんが」と云って駈け降りて来た。お松の母も降りて来た。「良くまア坊さんきてくれたねえ」と云って母子して自分達を迎えた。自分は少しきまりが悪かった。母の・・・ 伊藤左千夫 「守の家」
・・・とその坊さんに力をつけて案内して家にかえると夫婦で立って来て小吟の志をほめ又、旅人もさぞお困りであったろうと萩柴をたいていろいろともてなした。法師はくたびれて居てどうもしようがなかったのをたすけられてこの上もなくよろこび心をおちつけて油単の・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・のお大尽や成金やお大名の座敷の床の間を飾るには不向きであるが、悪紙悪墨の中に燦めく奔放無礙の稀有の健腕が金屏風や錦襴表装のピカピカ光った画を睥睨威圧するは、丁度墨染の麻の衣の禅匠が役者のような緋の衣の坊さんを大喝して三十棒を啗わすようなもの・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・きっと、これは母の怒りであろうと思いましたから、子供は、懇ろに母親の霊魂を弔って、坊さんを呼び、村の人々を呼び、真心をこめて母親の法事を営んだのでありました。 明くる年の春、またりんごの花は真っ白に雪のごとく咲きました。そして、夏には、・・・ 小川未明 「牛女」
出典:青空文庫